ちり紙交換が健全な社会の証拠だった

「毎度おさわがせしております。こちらはちり紙交換でございます。
ご家庭にございます、古新聞、古雑誌等、ございましたらお気軽にお声をおかけください。こちらからとりに参ります。」
このバカ丁寧な日本語がもう聞こえてこない。

いまどきはすっかり見聞きしなくなった「ちり紙交換」。
町内やおおきな団地にやってきては、新聞紙とちり紙(トイレットペーパー)を交換してくれた、古紙回収業者のことである。

あの独特のアナウンスは、伝説的な「ギャグ」までうんだほど、あまりにも日常の光景だった。
どの家庭でも、新聞は朝・夕刊ともに購読するのが「当然」だった。一家の経済を男ひとりの働きで支えられたのだから、いまより「豊か」だったかもしれない。

行政の「清掃局」が担当する「生ゴミ」などの回収とはちがって、ちゃんと専門業者がやっていた。
いまでも「ほそぼそ」とあるらしいが、わたしの住む地域ではもうみかけなくなってひさしい。

それよりも、毎週きまった曜日に回収業者はやってくる。
もはやちり紙と交換はしてくれず、ひたすら回収だけをしているのは、行政からの請負仕事になったからである。

古紙には相場があって、これを再生工場や輸出業者にもちこめば、暮らせるだけの手数料収入があったのだ。
つまりは、自由に営業できたということでもある。

これをつぶしにかかったのが、中央官庁で、まだ「環境庁」がうまれたて(環境庁設置は1971年)の73年に、当時の「通産省」が「全国モデル都市」を指定するというやり方で「参入」したのである。

この背景には、石油ショックがあるという説があるが、第四次中東戦争(1973年10月6日勃発)の影響で経済が深刻化するのは、1974年の1月になってからである。

つまり、どっぷり田中角栄内閣(1972年7月7日-1974年12月9日)の時代にあたる。
じつは、この時期に、わが国の「官僚制社会主義」が完成するのである。

田中角栄氏の逸話で有名なのは、官僚のコントロールにあったといわれているが、なぜかは簡単で、いまでは「ふつう」の、官僚に全面的な「政策立案」をさせていたからである。
それで、彼の生涯における「議員立法」の成立数が、他を圧倒したのだ。いわば、官僚に「内職」で法案を書かせていた。

初入閣は1957年。
39歳のときに郵政大臣となって、新聞とテレビの系列化をやった。
その後、大蔵大臣(池田・佐藤内閣)、通産大臣(佐藤内閣)を歴任し、総理になった。

まさに、わが国の「ドン」だったのだ。
しかし、よくよくみれば、彼の政策はすべからく国家主導の「社会主義」である。
高度成長の税収によって、役所も肥大化し、民間支配が露骨になった。

これが、「役人天国」となるのは「必然」だから、田中角栄人気は公務員に根強いのである。
もちろん、マスコミ支配を達成して利権配分したから、マスコミ人にも田中角栄人気はおとろえない。これは、かれの社会主義性にも原因がある。マスコミ人の社会主義好きは、いまでも「常識」だ。

以降、自民党は、全派閥が田中派のコピーになったので、欧州でいう「社会党右派」のような政党に変容し、英国保守主義でいう「保守」なぞという思想はとっくに捨て去っているし、知識もない。
いまの安倍内閣の政策は、もはや「社会党左派」にまで「進化」した。それで、野党が経済政策を議論できなくなってしまった。

これは、「地方」もおなじだ。
地方政府の官僚が、中央政府の官僚に指導されて、まねっこをやる。
地方議員は国会議員よりも質がおちる傾向があるから、住民には絶望的な役人の支配となるのである。

もちろん、そうとうに優秀な「首長」でないと、役人と議員の壁を越えることはできないので、ふつうのひとならなにもできないし、なにもやらせてはくれない。

そんなわけで、横浜市の一部(港北区・鶴見区)とはいえ、古紙回収が、中国の、例によって突然の「輸入禁止措置」によってできなくなってしまった。
回収しても、持って行き先がないからである。

計画経済の計画がこわれると、経済が不調をきたす典型例になった。
もちろん、中国の計画経済のことではない。
わが国の官僚がたてた計画経済である。

わが国は、中国をさしおいて、人類史上はじめて世界最高の社会主義を達成したので、国家主席を招待してでも自慢したいのだろう。
まことに経済学の常識から逸脱した、おろかな国家がわが国になった。

ペットボトルも中国が輸入禁止措置をとったが、いったいどうしているのだろうか?
古紙もペットボトルもプラゴミも「リサイクル」という「イリュージョン」で、役人が民衆をだます方法を完成させた。

1976年、函館空港に突然やってきた、当時のソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に搭乗していたのは、ベレンコ中尉。
わが国の防空網をあっさり抜いてしまったのだが、「亡命希望」ということで、なんとかなった。

かれがソ連に絶望したのは、故郷の街に収穫したリンゴが山積みのまま放置され腐敗しているのを目撃したからであった。
経済計画にない豊作が、輸送計画を崩壊させ、はなから存在しない販売計画がリンゴを腐敗させるしかない社会。

リンゴが古紙にかわっただけだ。
自由に営業できた、ちり紙交換が成り立ったのは、健全な社会の証拠だったのである。

役人が介入して利権となって、同じ古紙の回収ができない社会になってしまった。
まちがいをみとめない役人は、おそらく、回収業者を役所によびつけて、脅迫してでも回収させようとしているにちがいない。

まったくもって、ソ連の役人とおなじことをしても、経済の原則はなにがあっても役人のおもうようにはいかせない。
パンがなければお菓子を食べろ、というにひとしいおろかさだ。
指定業者の指定を解けば、炊きこめ用の燃料としてよろこんで回収する銭湯の主人たちがいるだろう。

しかしながら、われわれは戦闘機に乗って亡命もできないのである。

ただし、家中が古紙だらけのありえない不便にみまわれた、住民のただしい怒りが、いまや希望にさえなっている。
社会主義計画経済が成り立たないことを、やっぱり「証明」しているのである。

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