おなじ動作ができない

自由に生きることはたいへん重要だけれども、自由=勝手気ままと解釈すると、それは、やっぱり「勘違い」になる。
このブログでくり返している「自由主義」の「自由」とは、他人から命令されない社会のことだから、自律神経としての自己統制ができないと、自己崩壊してしまうのだ。

「欲望」をどうやって「制御」するのか?
それが人間社会の「道徳」になっている。
犬や猫のような動物にみられる「本能」のなかにも、自己制御はあって、できないものは群れから追放される。

「狩り」をして獲物をえるのが「群れ」の最大価値で、その攻撃力が防御力にもなっている。
だから、野生の犬や猫の仲間なら、「群れ」から追放されたら「死」を意味する。

人間も、狩猟採取生活をしてきた経験がある動物なので、やはり「群れ」をつくる性質がある。
数万年単位でのことだったから、数千年ぐらいではDNAがこわれない。

人間の狩猟には2パターンがある。
ひとつはおもに「飛び道具」をつかって、獲物をしとめる方法。
もうひとつは、「罠」をしかけて獲物をおびきだす方法だ。

そんな意味をかんがえると、現代ビジネスだって、上記2パターンの「狩り」のようなものだ。

こんな生活に、文化がうまれて、それが文明になった。
いろんな学者が、単独の文明として「日本文明」をみとめるのは、世界の辺境にある島国の独自性が目立つからだ。
これを昨今は、「ガラパゴス化現象」ともいっている。

わが国は「島国」ではあるけれど、「山国」でもあって、その「峻険」さは、もっとも基本的な移動手段の「徒歩」では、かんたんに移動できないという特徴がある。

そんなわけで、「土着」という結果、地域における「群れ」ができた。
東欧・ロシアの封建社会における「農奴(Serf)」とはややちがうけれど、わが国には「小作」がいる。

なかなか「外」との比較が難しい。
「日本論」が「日本」でさかんなのは、外の世界との共通性を見出すことでの安心感と、独自性の優越感とが交差するが、追求のエンジンか燃料には「不安」があるのかもしれない。

「人類共通」の感覚をさがさないと、いいようのない不安になるのは「群れたい」というプリミティブな感情があるからではないのか?
学校にかぎらず集団における「いじめ」が、群れからの追放なのも、善し悪しではなく理解しやすいことではある。

「いじめ」という集団行動からもれれば、じぶんも対象となるかもしれないという「不安」が、行動を助長して過激化するのは物理運動的である。
エンジンあるいは燃料が「不安」であるから、やめられない、とまらない。

対して「一匹狼」という生きかたがある。
本物のオオカミならば、死に直面している状態だから、ナーバスで、ゆえに近づくと危険だ。

しかし、人間社会で、ある程度これができるのは本人の「技能」がそうさせるからである。

封建社会は、職業選択の自由がなかった。
それぞれの役割が、血縁によってきまっていたから、本人がうまれる前に職業人生が確定していた。

古代から「投げる」という競技があったのは、「やり投げ」「円盤投げ」「砲丸投げ」に代表される「力比べ」が原点だろう。
しかし、「やり投げ」は武器である。
本来は、距離だけでなく正確さもあったはずだ。

わが国の伝統武術も、原点に相手を倒す技術として研究した成果だ。
なかでも「流鏑馬」は、馬術と弓術の統合が求められる。
馬の動きに偶然はあっても、弓術の偶然とはなにか?

おなじように動作しても、結果がことなる。

正確さのためには、もちろん道具の工夫もひつようだが、それをつかいこなすには訓練しかない。
そして、訓練をかさねればかさねるほど、おなじ動作ができないことに気がつくものだ。

これを克服したものが「名人」となる。

戦国武将たちが、こぞって茶道にはまったのは、おなじ動作ができないけれど、直接いのちをうしなうこともないからではないのか?
これがサロン化し、かつ、名人があらわれた。

名人は尊敬の対象になる。

はたして、世の中はデジタル時代。
「0と1」によってつくられている。
まともに「0と1」に対抗するなら、人間に勝ち目はなくなっている。

アナログという「連続」のなかで、いかなる「名人」となるのか?
デジタルがやる「おなじ動作」とは、ぜんぜん次元がことなる分野こそ、人間の生存空間になっているのである。

このことに気づいた親たちは、じぶんで「生き抜く」ための教育を子どもにしている。
このことに気づかない親たちは、受験に「生き抜く」ための教育を、いまだに子どもにしている。

産業界も、あいかわらず「惰性」で採用をきめている。
「一流企業」が「一流」だったのは、他社が自社とおなじ動作ができないからだったが、おおくがデジタルによって侵蝕された。
他社が自社とおなじ動作ができるようになって、衰退がはじまったのだ。

ならば、どうするか?
尊敬を得られるための努力しかないのである。

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