どや顔でニュース解説の噴飯

新年会で知人宅を久しぶりに訪問した。
この家のリビングには、巨大なテレビがあって、つけっぱなしだから、いつの間にかテレビ好きの生活になったようである。

大相撲をジックリ観るのは何年ぶりかも思い出せない。
若貴時代がなつかしい。
けれども、時代をつくった横綱が、そろって角界から消えたのはおどろきとしかいえない。

神前への奉納をもってはじまりとするものが、いつからか「スポーツ」になって競技として一般化・国際化してしまった。
「興行」が、「試合」になったから、「稽古」が、「練習」になった。

2008年に財団法人の法律がかわって、国家による財団法人への権限を強化した「公益」財団法人が制度化された。
その見返りが、「非課税」という「優遇措置」である。

プロ集団だから、お金に目がくらむのは理解できるが、法人の転換を機に「株式会社」にしなかったのが痛恨である。
うまいこと、主務官庁の文部科学省という役人集団の餌食にされた。
こうして、国家が仕切る「パンとサーカス」の典型例になったのだった。

電源をきらず、チャンネルもそのままでいたら、ニュース解説の番組がはじまった。
「これでわかった!」という番組名を、じぶんでつけるのだから、よほど自信があるのか、あるいは安い参考書のまねなのか?

いや、そうではなく、「エセ科学」番組だけれど、なぜか長寿の「ためしてナントか」と、発想がにているのは、おなじテレビ局だからと納得した。
これが、わが国を「衰退」させる一因になっている公共放送のおぞましさだ。

GHQの統治方針を、「独立」してなお遵守しているのは、わが国自体が「エセ独立国」だという証拠でもある。
「日本人を骨抜きにする」という方針で70年間も貫かれたら、みごとに骨抜きされた。

大相撲が、スポーツの看板をおろせなくなったように、公共放送局も「骨抜き」をやめられない。
どちらも、じぶんの「意志」ではどうにもできない「仕組み」になっているからだろう。

なので、わが家はテレビを必要としないだけでなく、「有害」という結論をえて「排除」した。
かならず、「脳」に悪影響をあたえるのがテレビ放送である。
ニュースも天気予報も観ないとはずいぶん前に書いた。
「5G」の電磁波が脳に悪いというのは「うそ」だが、テレビは「本当」だ。

そんなわけで、なにがはじまるのか?という「期待」は、どのくらい「脳」に悪いのか?という意味の「期待」である。

解説のニュースは、イラン問題であった。
観ていて、おもわず微笑んでしまったから、知人は怪訝な顔をした。
べつにどこも「変」ではないような「解説」を、真顔で、しかも「ためして」のように「どや顔」でしているからだ。

けれども、その論理構成は「印象操作」そのもので、米軍に殺害された「司令官」の大規模葬儀に焦点をあて、いかに国民的英雄だったか?をまずは「擦り込む」のである。
たいへんな数のひとたちが道路を埋めて、男性は雄叫び、女性は泣いている。

「嘆き」についての国民性として、中東地域では、日本では能登地方以外あまりみかけない、葬儀屋の職区分がある。これが、「泣き女」だ。アジアにはあんがいとこの文化がある。

すなわち、あのような政治体制の国にあって、「政府主導」の「(強制)動員」ということを真っ先にうたがう必要があるものを、ストレートに放送するばかりか、これを現地「政府の意図」どおり「解説」するとは、笑いがとまらない。

しかも、ご丁寧に特派員が衛星生出演して、それらしいことをしゃべっている。現地にいながら、現地のなにを「取材」したのか?さっぱりわからないから、衛星使用料がムダである。
もしや、ペルシャ語ができないのではないか?

ところが、さすが公共放送はしたたかで、そうやって擦り込んでおきながら、こんどは話題を旅客機の誤射撃墜事件に転換させる。
はじめ政府は関与を否定していたが、一転して大統領が「謝罪」した。

「否定」が「謝罪」になったことで、政府の「うそ」を糾弾するデモとなった。
そして、このデモが変容して、体制転覆のデモにまでなっている。
あきらかに、香港のデモの影響がここにもある。
さらに、あろうことか、このひとたちは街に掲示されている「英雄」の写真を引きずり降ろしているのである。

はたして、擦り込んだ「英雄」はどうなっているのか?を解説「しない」という「確信的手抜かり」をやりとげて、なんだか悪いのはアメリカで、やっぱり「トランプ」だといわんばかりの印象操作をするのだ。

そのトランプ大統領は、イランのデモ隊を支持するツイッターをだしていて、政府との対立を「当然」としているのだ。
それでも、彼らは中東から米軍がいなくなることを望んでいると、まるで他人事のように「解説」するのは、もはや「ビョーキ」である。

アメリカはシェールオイルのおかげで、純石油輸出国になっている。
だから、自国中心のエゴを丸出しにすれば、国内に引きこもるのが合理的だから、日本の公共放送がいう中東のひとたちの望みは、アメリカ自身の望みにもなっている。

しかし、そんなことをしたら、中東の石油に依存する「同盟国」が立ち行かない。力の空白を「露・中」が狙っているからである。
依存の筆頭がわが国で、とうとう自衛隊の派遣までしないといけなくなったのは、アメリがが引いているからだ。

それで、戦争に巻きこまれるから、中東への派遣はいかがかと、またまた無茶をいう。
ならば、9割の石油を中東に依存するわが国に、石油がこなくなってもいいのか?

そしたら、電気ができなくなって、テレビも観られなくなるから、このテレビ局のひとたちはどうするのだろう?
「天に唾する」とはこのことだ。
どういう神経から、こんなことを真顔でしかも、ドヤ顔でいえるのか?

まったくなっちゃいない番組を、ボーッとして観ていれば、やっぱり「脳」が冒される。
期待をぜったいに裏切らないのが「公共放送」である。
民営化論もあるけれど、「不要」として「廃止」すべきだ。

必要論の中心は「災害」というけれど、東日本のときだって、ぜんぜん役になんか立っていない。

よいこは、けっしてみてはいけないよ。

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