まねるか、まねられるかの逆転

お手本を見ながら、「まねる」ことで学ぶ、という方法は、「門前の小僧習わぬ経を読む」とされても構わないリスクを承知でやることに意義がある。
たとえば、「お習字」が典型的だ。

先生が書いてくれた、お手本どおりに書けるように訓練する。
ときには、先生が後ろから筆に手を添えて、筆運びと「はらい」などの力加減をおしえてくれる。
これをもって、「手習い」といった。

武士の教育において常識だった、「素読」は、『四書五経』をとにかく幼年時から「音読」させることで、内容の意味は問わないものだ。
だから、「素読」なのである。

これと同じ手法が、イスラエルやアラブにあって、ユダヤ教典の『トゥーラ』や、イスラム教の『コーラン』を子どもに暗誦させる教育方法が、いまでもふつうに実行されている。

数百ページもある教典を完全に暗唱できるようにすることで、のちのちに「意味」がわかればいいという割り切りは、その効果が一生の価値になることをしっているからやらせるのである。

小児期に脳に深く刻まれた文言は、ついに、忘れろといわれても忘れられるものではない。

こうして、まねることが、ある日を境に、まねられる存在に変化する。
職人の世界でいえば、親方になる、ということでもある。

政治手法として有名なのは、中国共産党が日本の自民党の研究をまじめに、しかも、深くおこなったことである。
深すぎの意味が「情」にもなって、橋本龍太郎氏と中国女性との問題のようなこともあったが、氏の死去によって一緒に問題も葬られた。

日本が近隣の国だったから学びの手本にした、ということではなく、あちらから見て理想的な支配体制だったからである。

「改革開放」という政策の一大転換も、「日本方式」から学んだ手法だったといえる。
政府の下に民間経済があって、なんとなく自由経済、という姿が、完全に都合がいい「型」だからである。

このときの師匠は、田中角栄氏だったから、いまでもあちらの方々は、氏を「恩人」として仰いでいる。
「田中派」の生存者になった二階氏が、10年間も自民党を離れていたのに幹事長になれたのは、あちらからの「恩返し」の力学があるとかんがえれば、なんだか二階氏の言動と辻褄があうのである。

そんなわけで、「師の逆転」がおきて、いまではあちらの方々が「上位」になった。

それはいつからなのか?
「厳命」なのか「言明」なのかのはなしになったのは、2001年の小泉首相靖国参拝に反対する、あちらの外務大臣発言であったから、それ以前の前世紀おわりからであろう。

政治的に「言明」で落ち着いたが、だれもが「厳命」だとおもったのは、すでにわが国が、あちらから「まねる」という立場になっていたからである。

それからまた20年がたって、いま、どうしても「国賓」としないと、わが方のメンツがたたない、ということになっている。
あちらのメンツではないことに注意したい。

国内のコロナ禍と検察庁のはなしと、香港の一国二制度崩壊のはなしのどさくさに紛れて、今月27日、「スーパーシティ法」が成立した。
正式には、「国家戦略特別区域法の一部を改正する法律」という。

そもそも「国家戦略特区」というのは、あちらの国がつくった「方便」のことで、広大な大陸国家を統治する共産主義の諸制度では、改革開放がままならないから、そこに「穴」をつくったものだった。

これをわが国でもまねたのだ。
つまり、わが国を統治する全国一律の諸制度(=共産主義)では、あんまり不自由なので「穴」をつくろうとしたのだから、わが国の体制がどんな体制であるかを知らしめるものなのだが、だれもいわない。

さてそれで、この法律は、特区内に「まるごと未来都市」をつくるというものだ。
その「まるごと未来都市」とは、人工知能やビッグデータなど最先端の技術を活用し、未来の暮らしを先行実現すると説明されている。

これって、もしや生活のすべてが「監視」される街をつくるということではないのか?と懸念されている。
こうした「懸念」を記事にしているのが、『しんぶん赤旗』なのだから、どうなっているのか?

あちらの国では、「スマートシティ」という監視体制が実行されていて、これらを技術的にささえる企業を、アメリカ商務省は「ブラックリスト」化して公表している。

こうしてみると、わが国があちらの国にまねるのが「常識」になっていて、あちらの国のようになりたい、というひとたちが政権を担っている。
それで、香港のことも強くいえないのだ。

しかし、わが国のなかでも逆転がおきていて、自民党が(中国)共産党に、日本共産党が自民党化しているのである。

宮城県選出の桜井充参議院議員が、今月、野党統一会派を退会し、自民党入りした。
このひとは共産党から応援をうけて選挙にでたので、地元の共産党関係者は「背信行為」として批判している。

本人が言葉にした理由はどうであれ、まねるか、まねられるかの逆転という大きな動きを意識すれば、納得がいく小事なのである。

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