スエズ運河の座礁事件

またまた「日本船」の不祥事のような報道である。

この船は複雑な契約形態になっていて、今回のばあい、持主である「船主」は日本企業の「正栄汽船」だけれど、定期貸船していて運航は台湾の「エバーグリーン(長栄集団)」であり、座礁した船の乗組員はドイツの会社(ベルンハルト・シュルテ・シップマネージメント)に委託していて、インド人乗組員25人が乗船していた。

当然だが、運河を航行するときは、スエズ運河庁の許可を得て、水先案内人が「かならず」操船することになっている。

26日、船主として正栄汽船の社長が「謝罪」したことが報道されたけれど、はたして船主にどれだけの「責任」があるのかは、事故原因の分析を要するのでまだはっきりしない。
その意味で、「とりあえず謝った」ということになろう。

しかし、この「謝罪」が、はたして国際的にはどのように受けとめられるのか?
もしや、船主に責任などないのに、先に非を認めたとなれば、責任が「あることにされる」ことだってありうるから、厄介なのである。

問題は、原因とされる「砂嵐」の予見可能性という自然現象に対する人間の「判断」なのである。

エジプトというか、広くは「サハラ地方」には、春先に年にして数回の砂嵐がやってくる。
日本でいう、「春一番」のようなもので、アフリカ大陸の南方からの暖かい風が、北の地中海に向けて「吹き荒れる」のである。

そして、地中海を越えてイタリアに到達すれば、それは、「シロッコ」と呼ばれ、ギリシャでは、「ガルビス」という。
フォルクスワーゲンの「シロッコ」も、この嵐に由来する命名だ。
春先にローマで強いジメジメの南風と雨が降るのは、海の湿気を得るからである。

アラビア語で「サハラ」とは、「砂漠」のことだ。
だから、「サハラ砂漠」とはいわず、ただ「サハラ」という。
「砂嵐」といっても、その「砂」は、まるでパウダーのようで、二重サッシの窓でも家に入り込み、テーブルや床に指で絵が描ける。

なので、口や鼻を布などでおおわないと、呼吸できないほどなのだ。
そして、もっと悪いことに、エジプトでも雨が降るのである。
すなわち、年にして数回の砂嵐とは、その回数だけ、雨が降るということだ。

これが、わたしが経験したもっともひどい雨で、パウダー状の砂を含んだ水なので、服につけばシミになって洗濯してもなかなか落ちない。
ふだんの大気汚染の物質も、包み込んでいるのだ。

自動車のフロントガラスは、たちまちにして視界不良。
ぼたん雪のように落下してくる。
そして、真昼でも一天にわかにかき曇って、暗くなる。
砂混じりの雲が、太陽を遮断するからである。

ワイパーだけでは排除できない。

本物の雪とちがって、水分をふくんだ砂なので、ワイパーゴムがフロントガラスを引っ掻くのである。
だから、ワイパーの往復数回で、ウォッシャー液をがんがん吹きかけて流さないといけなくて、吹きかける水が底をついたらもう運転は不可能だ。降り出したら、せいぜい30分が限度である。

しかし、ワイパーを装備している自動車がすくない。
もちろん、新車購入時でもワイパーは「オプション」なのだ。
年に数回しか必要ないなら、わらえない。
つまり、砂嵐の日に自動車に乗るばかりか、外出してはいけないのは、たちまち大渋滞が発生して、家に帰れなくなるのである。

日本人が想像する霞のような光景の後にやってくる雨が最悪なのだ。
ガラスに付着した濡れた砂が積もって、視界がゼロになるのである。
これは、船の操舵室だっておなじだろう。
しかも、船にウオッシャー液なんてあるのか?

そんなわけだから、砂嵐がやってくるという天気予報は、はずれない。
エジプトの天気予報は、これ以外ぜんぶ「晴れ」なのだ。
だから、エジプト人は天気より気温予報をすこしだけ意識している。

民族には、距離感や数の概念で特徴がある。
とくに日本人は、なんでも数えるという、やや病的な特性があるのだけれど、外国人には理解できない。
日本語には、やたら数の単位があるのだけれど、複数形がない。

アラビア語も、ご多分に漏れず、複数形はあるけど、やっぱり数の単位はない。
タンスを「ひと棹、ふた棹」なんて数えないのだ。
そのかわり、「たくさん」という意味で、「40」をつかう。

両手両足の指の数の2倍をもってして、「たくさんになった」という説がある。

『アリババと四十人の盗賊』と聞けば、日本人はきっかり40人の盗賊たちがいると想像する。
でも、本場のひとは、「アリババとたくさんの盗賊」というイメージなのである。

『千夜一夜物語』は、日本語版で、ほんとうに「1001話」になっているけど、アラブ人には、ほとんど永久というイメージだ。
40の何倍なのか?

だから、砂嵐のことをアラビア語で「50(ハムシーン)」という。
「40よりすごい」という意味だ。
天気予報が、「巨大な低気圧の砂嵐」と予報すれば、「50の2倍=100だ」といって大騒ぎする。

すると、事故当日、確実にあたる天気予報はあったはずで、雨が降るとどうなるか?もしらないエジプト人はいない。
インド人乗組員がどうかはしらないけど。

わたしの疑問は、なぜにスエズ運河庁が「航行許可」を出したのか?にいく。
もしや「袖の下」で、江戸時代の「川止め」を回避しようとした行為に同意したのか?

1956年の「第二次中東戦争」は、別名「スエズ戦争」といわれたものだ。
ナセル大統領が、スエズ運河の国有化を一方的に宣言したことに反発した、イギリス、フランス、イスラエルが仕掛けた戦争だ。

ナポレオンのエジプト遠征以来、フランスはエジプトにちょっかいをだしていたし、そのフランスを追い出したのがイギリスだ。

ちなみに、ナポレオンは、古代エジプト・プトレマイオス朝時代に「あった」とされ、すぐに砂に埋まった、スエズ運河の「可能性」を近代測量させて確認したが、地中海と紅海の高度差がある、と誤認して着工を断念している。

そして、イギリス人は、「エジプト人にスエズ運河の運営なんてできっこないから、われわれが管理してやるのだ」と言い放ったものだ。

ところが、スエズ運河には、日本企業が深く関与している。
それが、国内では準大手ゼネコン扱いされている「五洋建設」だ。
この会社の真の姿は、海洋土木に特化した「マリコン」なのである。
その浚渫(しゅんせつ)技術は、世界一の定評がある。

五洋建設の技術がないと、古代のように砂に埋まる。
おそらく、座礁船の救出にも、五洋建設が活躍しているはずである。

さては、当日のスエズ運河庁の判断の意味は?

そして、正栄汽船の社長に「落ち度」があったとすれば、上述の現地事情もしらなかった、ということになる。
船主として、スエズ運河をみたこともないのだろうと推察する。

まさか、こんなひとが、ふだんから「現場主義」をいっていたら、それはもう「まんが」なのであるけど、かんがえすぎか?

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