デパ地下の実力は西高東低?

「天下の台所」の元気が,いつの間にか「東京」に完敗しているかにみえる.
「戦後の時代」も,新任の大蔵大臣は,かならず関西経済界に挨拶に出向いたものだった.
それが,全国均一化という名分での東京偏重から,いつしか大蔵大臣が財務大臣へと名称までかわった.

しかし,その「東京偏重」は,税収における,という意味であって,人口が減少しだしてようやく首都圏も「交通網」の整備がはじまった.
地方は不便なままでいいといいたいのではない.
地方自治という建前が,じっさいは中央集権だという,ダブルスタンダードが通じなくなったということをいいたいのだ.
「コンパクト・シティ」とは,地方都市のことではなく,東京一極集中のことである.「効率」という観点からするれば,ほかに選択肢はない.

中央政府や地方政府ともに,この国の堕落は政治にあるから,その実権は役人という実務家に奪われて久しい.
政治の堕落とは,有権者の堕落をいう.

法治国家の「法治」の意味をかんがえると,人工頭脳による「行政」が望ましい.
だから,外資系のコンサルタント会社は,将来,人工頭脳にとってかわられてなくなる職業に,「公務員」をあげている.「法」が明文化されているものだけから成り立つならそのとおりだが,どっこい「慣習法」という強力な壁がある.
この「慣習法」というのは,一般人のくらしの基準でもあるから,うっかり人工頭脳にまかせてよいものか,おおきな疑問もある.

生身の役人か,人工頭脳か?
簡単に軍配があげられるものでない.

そんな庶民の贅沢は,デパートの地下空間にひろがっている.
もちろん,デパートという商売は,見た目とっくに不動産事業になっていて,自分で仕入れた商品などほとんどない.売れそうな店を誘致するのがデパートの腕前になった.
専門業者が,最低保証家賃と売上歩合家賃とでなりたつ賃貸借契約事業になっている.
だから,いかにすくない面積で,いかにおおくを売り上げるか?は,デパートの社員がかんがえることではなく,入居した専門業者がかんがえることになっている.

ここに,「商魂」という精神があらわれる.

ここにしかない,というキーワード

「ついで買い」のためにも「ここにしかない」は重要だ.
「食品工業」という分野でも,少品種大量生産から多品種へという変化が必要だが,これに「発明」がくわわると,「ここにしかない」の素地ができる.

関西のデパートには「漬物」のフリーズ・ドライがある.
爆発的な売れ行きで,生産が間に合わないから関東に進出できないらしい.
いまどきの通販なら購入できるが,あんがい送料がはる.
それで,「せっかくきたし,軽いから」と,大量買いするようになっている.

こんな「業者」が,競う関西のデパ地下は,関東とはグレードがちがう.

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