トヨタ労組の立憲切り

全トヨタ労働組合連合会(全ト、35万7千人:トヨタ自動車、デンソー、アイシンなど関連314労組で構成)は、「連合」傘下の巨大労組である。
ここが、立憲民主党議員との連携を「見直す」と発表して、大きな話題となった。
いわゆる、「左翼」界隈からは、「裏切り」ともとれる恨み節が流れた。

こういった事態にどうしてなるのか?を調べるには、「歴史」を見るのが一番いい。
トヨタ自動車の歴史は、トヨタ労組の歴史でもある。
労働組合とは、本来そういうものである。
何故なら、自動車を作って売るには、絶対に労働者(従業員)がいなければならないからである。

作る人だけでも、売る人だけでもいけない。
もちろん、「製造業」に限ったことではなく、全産業でいえるのである。

残念なことに、左翼思想(社会主義や共産主義)が先行して流行ってしまったのも歴史だ。
そんなわけで、「不幸にも」労働者のための労働運動が「思想汚染」されて、これら「主義」のひとたちのための「手段・道具」になってしまった。
まことに左翼思想の「非生産的」かつ「破壊的」無意味のなしてきた「罪」は重い。

世界のトヨタの「前身」は、豊田佐吉翁がなした「豊田式織機」である。
これは、母が夜な夜なしていた「機織り仕事」を、なんとか楽にできないものかと思案して作り上げたものだ。
つまり、「母のため」という気持がこもっている。
それが、「ひとのため」になって、豊田自動織機が会社となる。

この会社から派生したのが、トヨタ自動車なのだから、「従業員のため」という思想が欠如しているはずがない。
よって、そもそもがトヨタ労組とは、「労使協調」を旨としていた。
これが崩れたのは、戦後の資金不足という混乱期だった。
本所次郎『小説日銀管理』に詳しい経緯が書いてある。

さらに、外国人がトヨタ自動車を研究したのが『トヨタ経営大全』だ。
この「人材開発」を見れば、その「合理性」がよくわかる。
トヨタはクルマだけでなくひとも作っている、といわれる所以である。
しかし、トヨタの内部からしたら順番が逆だろう。

人を作らなければクルマは作れない、と。

乗用車はふつう、約3万点の部品からなっているといわれる。
3万点のすべての部品が、設計どおりの機能を有さなければ「商品」にならないばかりか、一歩まちがえば人命を奪う凶器にもなりかねない。
これを用意し、間違いなく組み立てる。

これだけでも、大変なことなのだ。
そして、これを世界販売している。

もう、世界の自動車メーカーは、トヨタに適わないことを知った。
それで、もっと簡単な「電気自動車」にルール変更を画策している。
つまるところ、よってたかっての「トヨタ潰し」なのである。
その大義名分に設定したのが、ありもしない「地球温暖化対策」という欺瞞である。

これに、あろうことか日本政府与党・野党が「加担」して、日本政府ぐるみ、という格好ができてきた。
まさに「存亡の危機」なのだ。
だから、与党でもより「保守」と組まざるを得なくなったとかんがえる。
本来に「回帰」しているといえるのだ。

すると、会社側が、オリンピックにおける「広告の停止」を発表した意味も見えてくる。
そして、これがどうやら、「日本国内だけ」ということらしい。
つまり、海外では、「オリンピックとセットに」広告展開するということだ。
日本のマスメディアが、オリンピックへのネガティブ・キャンペーンをやった成果となったから「皮肉」なものだ。

「広告」を出す意義は何か?という原点に「回帰」したのである。

しかして、いまやわが国経済を支えるトヨタ自動車の広告撤退は、横並びがだいすきな財界のみなさんに波及してしまうという「効果」まで生んだ。
それでトヨタ社長が「開会式欠席」を表明したら、こぞって「欠席」を告げている。
これはこれで、「無観客」を主張したひとへの当てつけにちがいない。

クルマを買ってくれるお客様たる一般人が入場拒否される開会式に、どうして自分たちが出席できるものか。
これぞ、「商魂」というものだ。
願わくば、国民統合の象徴の御方にも欠席を願いたいものである。
国民がいない場に、出る筋合いはございません、と。

そんなわけで、トヨタ自動車が、日本的精神の最後の砦にもなっている。
この際だから、次の選挙では、トヨタ労使がそれぞれに支社と支部から立候補してくれないものか。
日本に必要のなくなった、自民党をはじめとした政党からの立候補者を「掃討」するのに相応しい。

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