パリのパン屋さんと銭湯

かつて、パリでご町内の商売といえば、パン屋さんだった。
各町内には、かならず一軒のパン屋さんがあって、住民はこのパン屋さんから「しか」パンを購入できなかった。
そういう「統制」があったのだ。

もし、となりの町内に、おいしいと評判のよいパン屋さんがあっても、そこでは買えない。
ただし、パン屋さんからすれば、どんなに努力しても、おなじ町内の住民にしか売れないから、ふつうはそんな努力はしない。

それに、おいしくない仲間のパン屋さんたちから、組合を通じて文句をいわれるので、だいたいおなじような「まずさ」に調整した。
こうして、絶対につぶれないパン屋さんは、家業としては安泰だったが、仕事としては張り合いがないから、後継者不足が深刻になった。

そんな世の中になっていた、70年代、大型スーパーが登場した。
パン屋がパン屋であるのは、粉から練って発酵させる工程を職人が全部やるという前提の「パン屋保護法」だったけど、大型スーパーの店内で焼くパンは、冷凍食品であったからこの法律が適用されずに許された。

店内で「焼くだけ」でできる冷凍パンは、当初、冷凍技術が中途半端でベシャベシャだったから、街のパン屋の相手にならなかった。
ただ、安かった。

ところが、日本の技術を採用した冷凍パンが焼かれるようになって、業界地図が塗り変わってしまった。

町内のパン屋さんより、はるかにおいしくて安いパンが、スーパーで買えるようになったからである。
それが、後継者不足と重なって、町内のパン屋さんの廃業が続出した。

「統制」の保護下にあったパン屋がなくなれば、まじめな住民はスーパーのパンしか買えない。
あわてて法律をかえて、廃業したパン屋の代わりに近隣の町内のパン屋さんでも買えるよう許可したが、もはやスーパーのパンにかなわない。

困り果てた「全フランスパン屋組合」の組合長が、激論の末、このままでは日本のパンに我々が殺される、という危機宣言をだして、パン屋の自由化を政府に要求した。
背に腹は代えられね、ということである。

社会主義統制経済をむねとするミッテラン政権は、しぶしぶこれを認めて、自由競争がはじまった。
すると、世の中に、おいしくて安いパンが出まわって、経営に積極的なパン屋さんは、各町内に進出して規模の拡大を目指すようになった。

そうなると、冷凍パンでは勝負にならない逆転になったから、政府による統制とは脆いものなのだ。

これが40年前のフランスで起きたことだ。
しかし、わが国の「統制」は各方面に連綿とつづいている。
個人経営の酒屋は壊滅して、日本の町内といえば、銭湯が残っている。

タクシーもおなじで、地方によっては街からタクシー会社が消滅の危機をむかえて、市民の足がなくなりそうなところもではじめた。
たとえば、神奈川県の三浦市がそれだ。

もっといえば、医療・介護系はみな国家統制でがんじがらめだから、どちらさまの病院も赤字でこまっている。
市立病院が閉鎖に追い込まれるのも、国家統制のおかげだから、病人がいちばんこまることになっている。

こうした国家統制をのぞむ業界団体があって、おもいだせば獣医師会がそうだった。
この団体が、文部科学省という役所をまるめこんで、あたらしい獣医学部をつくらせない、と決めさせた。

文部科学省は、なぜだか省庁におけるランキングが低く、国家公務員試験の成績順位ビリ組が入省するといわれている。
それでかしらないが、少子化がわかっているのに大学設立を自由化したのは「快挙」ではあった。

もともと自由競争をさせればいいからで、たとえ少子化でも、設立したいと申請するのは勝手であるから認可をしたまでだ。
ところが、あたかも乱立した大学の経営が行き詰まったのを、文部科学省のせいにするという論調がたって、役所が批判の矢づらにたたされて怖じ気づいたのだろう。

もっとも、私学助成金でがんじがらめにするのが常套手段だから、おおいに役所にも経営責任がある。
これもやめていたら、学校経営者の責任だけしかないのに。

そんなわけで、ことしは東京都の銭湯組合が入浴料金10円の値上げをきめたそうだ。
このうしろには、東京都というお役所がいる。

パリのパン屋に遅れること、半世紀がたっても、おそらくこの制度は続くのだろう。
新規参入の形態が「スーパー銭湯」ばかりで、銭湯組合に入会しないのはこのためである。

業界人は、鉄壁の社会主義統制経済がだいすきなのだ。

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