ロイヤルミルクティーの発明

歴史的にも日本人というのは,じつは地球上でもっとも快楽主義の民族なのではないかとおもうことがある.
宗教すら,人間のためにあるものというかんがえだから,この世に悪い神様は存在しない.
人間に悪いのは,「悪霊」という「霊」であって,「神」ではない.

だから,神社だろうがお寺だろうが,「霊」を払ってもらえればよい.
神社が効きそうならミソギをし,お寺が効きそうなら護摩を焚いてもらう.
まるで,よさげな病院をえらぶような感覚で二千年を過ごしてきたのが日本人だ.
神仏には,自分にとっての都合の良いことを頼むのである.

さいきん,イスラム教徒が日本を意識している.
イスラム教の教えは,神の御意思にしたがえば,「天国」に行けるというものだ.
ところが,彼らが想像する「天国」とは,じつは「酒池肉林」の世界である.
だから,現世では酒も飲んではいけない.天国でのおたのしみなのだ.

これは,日本人がイメージする「極楽浄土」の清涼なる世界とはまったくちがう.
しかも,その天国へ行くことを決めるのは全知全能の「神」であって,自分ではない.
それで,生きているうちに神に気に入られる行動をすればよいとかんがえるようになった.
これは,本来の最後の審判を経ての「復活」とはまったくちがうかんがえかたなのだが,人間のかんがえかたも「神」が決めるとするから,これはループする.

本来のかんがえ方は,たとえ極悪人でも,最後の審判で神が「よし」とすれば,天国に行くし,どんなに善行をつもうが「ダメ」とすれば地獄に行く.
それが,人間にとっていかに理不尽でも,絶対神の「絶対」とはそういうものだから,人間のために神があると信じる日本人には理解できない.

生きているうちに修行や善行をすることで,魂を清浄にすれば極楽浄土に行ける,というのは仏教の思想だ.
だから,最近のイスラム教徒は仏教化している.
それで,ワールドカップで清掃をする日本人を,イスラムの本来の姿だとみるようになった.

世の中,適当なものである.
オリジナルなものを,自分たちの都合でかえてしまって,それを「高級」とみなす行為は,オリジナルの方からみたら,たいへん不遜にみえるだろう.
仏教から,浄土思想を生んだのも,そうやってみると不遜である.
フランスの仏教研究では,正式に浄土真宗を仏教と認めていないのは,修行すら必要なしとした教えに対しての,オリジナル目線からの結論なのだろう.

仏教の誕生地といえば,インドだ.
いまではヒンズー教が大半で,仏教徒は3%程度にすぎない.
アラビア語でインドは,「アル・ヒンドゥ」.つまり,「ヒンズーの国」.
その国で紅茶畑の従業員が,一大ストライキを実行して,紅茶が世界的に不足したから高騰している.茶の木の手入れができないから,ストライキがおわっても,しばらく不足はつづくだろう.

茶葉栽培の適地は,高山の寒暖差があるところといわれている.
それで,ヒマラヤのあたりでは,ミルクを沸かしていれた「チャイ」が一般の飲み物である.
これを,日本人が「ロイヤルミルクティー」といって売り出した.
「ミルクティー」に「ロイヤル」がつくから,高級感いっぱいである.

水と安全はただ,というかんがえの国だし,牛乳を飲む習慣が長くなかったから,消化できずにおなかを下す人がたくさんいるのも日本である.
逆に,日本人は欧米人とちがって海苔などの海藻を消化できる能力をもっている.だから,欧米人が海藻を食べ過ぎるとお腹を下す.

紅茶に牛乳を入れるのは,英国式のアフタヌーンティーでの飲み方だが,このとき,牛乳は冷たくなければならない.
日本では,温かいものには温かくと気を利かせて,温めた牛乳をわざわざ出す店があるが,これは,牛乳に無頓着な日本式である.

牛という獣の乳であるから,牛乳を温めるともとの獣の臭いがしておいしくない.
それで,高級かつ繊細な香りの紅茶に入れたら,とたんに獣臭がしたお茶になる.
だから,レモンティーも好まれない.レモンの酸が紅茶のタンニンと反応して澱をつくるし,せっかくの紅茶の色も香りも消えてしまうからだ.

ところが,ミルクティーを注文する日本人のおおくが,温かい飲み物には温かいものを入れるのがよいと思い込んでいるから,冷たい牛乳をサービスすると文句をいうひとがたくさんいる.
それで,いちいち説明がめんどくさくなった日本のとある高級ホテルは,日本人なら温かい牛乳,欧米人なら冷たい牛乳を出すこととした.
どちらもおなじポットでサービスされるから,隣のテーブル同士でもちがいには気がつかないだろう.

だから,牛乳を沸かして作る紅茶は,水の質(硬水か軟水か)はヨコに置いても,水が楽に手にはいる欧米では「ありえない」飲み物である.
谷まで水くみが必要なヒマラヤの山奥なら,水より牛乳の方が楽に手にはいるだろう.
それでも,牛乳だけからいれた紅茶は,それなりにまったりした味があるから,選択の自由を否定はしない.

しかし,これに王室を意味する「ロイヤル」をつけたのは,言い過ぎだ.
かつてインドを支配した英国王室ファミリーが,インドの庶民が好む方法でのお茶をわざわざ飲まないし,これに「ロイヤル」をつけたら,英連邦の人びとまで「???」にさせてしまう.

外国人観光客が少なかったころなら,極東の島国のローカルで済んでいたが,いまだと悪いイメージになりかねない.
インド料理店では「チャイ」といい,高級な喫茶店では「ロイヤルミルクティー」と言い張るなら,人種差別ともいわれかねないからだ.

もちろん人種差別を好んでしているはずもない.
しかし,ではなんと反論するのか?
適当によかれとつけたものの,本物目線から逃れることはできない.
快楽主義だと開き直るなら,それはそれで立派ではある.
けれども,たんなる無知では,美味しい紅茶もまずくなる.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください