インスタントラーメンの意味

日本人の発明品で,かくも世界の食文化に影響をあたえたものはないだろう.
良くも悪くも,偉大な功績である.
手軽にいつでも食べられること,人工調味料と添加物をジャングルやサバンナの奥地にまで広めたことである.

日本人には,「主食」の概念がある.
「米信仰」ともいえる,稲の栽培にまつわる節目節目に「祭り」があるのが証拠だ.
しかし,米を口にできたひとはわずかだった.
おおくのひと,なかでも米を栽培するひとのほとんどは,日常的に米を食べることはなかった.

古くから「税」の対象だったからだ.
それで,おなじイネ科の植物,ヒエや粟に野菜を混ぜて食べるのが日常だったという.
だから,江戸時代の人口構成でいえば,大多数だった米を食べることが日常ではなかった農民に,糖尿病もなかった.

むしろ,慢性的なカロリーと栄養不足で,過酷な農作業をしていたから,ふつうは骨と皮のやせこけた体型ではなかったか.
「ジャパニーズ・貧相」の象徴として,左卜全,藤原釜足らの俳優は,そこにいるだけで伝統的な「貧困」を感じさせた.

いま,時代劇からリアルが消えたのは,「時代」を感じさせるロケ地がなくなったこと,画像解像度が増して俳優の毛穴までみえること,そして,「貧相」な俳優の絶滅だろう.
これに,現代的価値感のホームドラマが展開するから,「リアル」であるはずがない.
ほんとうは,理不尽の連続が人生であったろう.「おしん」が国内だけでなく,アラブ諸国やイランで日本以上に共感された理由である.

生産者である農民が米を食べることができない,ということから理不尽である.
農民が自分がつくった米を食べることができるようになったのは,戦後の農地解放からであろう.
「先祖代々」というのは,地主としてではなく,水呑百姓として「先祖代々」ゆえの,土地へのこだわりであるから,別の意味の理不尽が乗っかっている.

だから,とにかく「主食」にはこだわるという価値観が,民族の価値観として常識になった.
ところが,米だけではたべにくい.それで,高等技能の「口内調味」として「副食」というおかずが必須になる.
こうして,ラーメン・ライスという食べ方が生まれた.
主食になりえるラーメンを副食にしているのか,ラーメンを主食としてライスを副食にしているのか微妙な表現だが,栄養士がぜったいに勧めないこの組合せは,おそらく日本の庶民の貧相な食文化の中で「贅沢」の象徴なのだ.

東西冷戦がおわって,世界の構造が大変化した.時を同じくして,お隣の大国が改革開放政策をとったから,世界の工場だった日本の立場が根底から揺らいだのが80年代のおわりから90年代の最初の出来事だった.
つまり,日本では「バブル期」とその「崩壊」の時期にあたる.

不幸にも,日本人は,不況の原因を「バブル後の不良債権」に求めた.
これは,原因ではなく結果なのだ.
「平成不況」の超巨大な原因は,「冷戦の終結」であったのに,平和ボケして気がつかなかった.
歴史的「愚鈍」であろう.いまだに気がついていない.

それで,鉄のカーテンの向こう側がぱっくりと,まるでタイムマシンが稼働したように,時代錯誤な生活を強いられてきた人たちが一気に現代にやってきた.
購買力に乏しいから,西側の高度な加工品はすぐには買えない.
しかし,インスタントラーメンなら,彼らにも購入できる.

こうして,日本製のインスタントラーメンが,あっという間に日常食になった.
「売れる」となれば,9,000キロのかなたまで運送するのが面倒だし,安い人件費という条件も,穀倉地帯という条件もあって,現地生産が選択される.

ところで,スープにはいっている麺を,彼らは「主食」と認識しない.
「主食」という概念がない食文化にあって,インスタントラーメンは,「スープ」扱いなのだ.
スープは,食前にいただくものである.
それで,袋から取りだす前に,よく揉んで麺を粉々にする.「スープ」だから,スプーンで食べやすくするためである.

ぞんざいな扱いをして,インスタントラーメンを出荷した箱がつぶれても,どうせ砕いて食べるから気にしない.
むしろ,適度につぶれているものが好まれる.
こうして,インスタントラーメンは,麺ではなく具材になった.

所変われば品変わる.
それは,意味までも変わるからである.

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