地図の上下を横にする

日本をふくむ東アジアの地図を横にして、西を下、東を上にしてみる。
中学校や高校の「世界地図帳」があるなら、地図帳ごと横にすればよい。
すると、ユーラシア大陸が下になって、日本列島がまるで「蓋」のように連なっているかに見える。

この、「かに見える」ということが、思考の役に立つ。
地政学という学問を引っ張り出さなくても、ユーラシア大陸から見たら、日本列島が広大な太平洋の堤防のようにも見える。

演歌だと、「日本海の荒波」が詩情や風情をかきたてるのだけれども、太平洋の荒波に比べれば、内海となる日本海はどっこい静かな海なのである。
だから、江戸時代は、日本海の「北前船」での海運が盛んだった。
裏日本が繁栄したのは、この「物流体制」のおかげだった。

現代でも、太平洋側の宮城県金華山沖に発生する三角波によって、大型船が沈没の憂き目にあう危険がある。
それで、南に目をやれば、「台湾海峡」が重要になっている。

台湾の太平洋側も、航路として危険なので内海の台湾海峡しか通行できない。
もしも、台湾海峡が封鎖されたら、我々はアメリカから来る以外の、ほとんどの物資が入手不可能となる状態で生きている。

いま話題の、東シナ海も南シナ海も、台湾海峡とおなじく、海上交通の要衝なのである。

相手のかんがえることが、どういう発想からなのか?とか、どんな事情かをかんがえないと、トンチンカンなことになって、かえって傷口を大きくすることがある。
だから、相手がトンチンカンだとやっぱり困る。

トンチンカンにはトンチンカンな対応になるので、結果もトンチンカンになりやすい。

すると、トンチンカンな相手には、早い段階でそれがトンチンカンだと教えてあげないといけない。
これが、国家間になれば、こちら側の国民がふだんから「まとも」でないといけないのはいうまでもない。

ところが、自由主義というものは、「まとも」と「トンチンカン」がどうしても混在するので、全体主義が「強固な結束」に見えるのである。
これを勘違いして、自国民に情報統制を行えば、「まとも」ばかりになって相手に対抗できるとかんがえたりする。

そうやって、気がついたら自国も全体主義になっていた、ということになりかねない。

そんなわけで、地図を横にして見るのは、自分と相手を交互に見つめるための工夫である。
たまには相手の立場になってかんがえる。
すると、相手の論理が見えてくるのだけれども、それがどういう意味なのかをさらにかんがえると、平和ボケしていられない事情もわかるというものだ。

これを、こないだ話題にした「クレー射撃」でいえば、「スキート」という種目がこれにあたる。
麻生大臣が、前回の東京オリンピックで出場した種目でもある。

簡単に説明すると、半円形のフィールドの直径にあたる場所それぞれに射台を置いて、円周に沿っても射台を置く。半円の中心にも射台を置いて、全部で8カ所とする。
クレーの射出口は、直径に対して2カ所だけで、それぞれ同じコースにしか射出しない。

つまり、放出される皿のコースはたったの2通りだけど、射手である側が移動して違う角度からこれを撃破する競技なのである。
やってみればわかるが、見る角度が違うと、同じコースに皿が飛んでいるとはおもえない。

人間の感覚とは、こんなものなのである。

だから、地図を横にしても意味がない、ということはない。
地図を横にする意味の方がわかるのである。

子ども時分によく参加した、オリエンテーリングでは、地図と磁石を渡されて何カ所かある経由地をチェックポイントにして、いちはやくゴールしたものが勝とされる。
会場がずいぶんな田舎でないといけないのは、地図と磁石に頼る競技だからである。

このとき、地図に磁石をあてて方角を確認し、じぶんたちがどこにいるのかを意識しないと、チェックポイントにすらたどり着けない。
時間も計って、歩いた距離も考慮するひつようがある。
だから、地図をグルグル回して、実際の地形も見ながら、いまいる場所の見当をつけるのがコツなのだ。

Apple Watchの宣伝に、子どもたちの指導者のおとなが確認したら全員がその方向に歩き出すグループの場面がある。
こうした活動が、課外授業になるのは、ただ地図の見方を学べるからではない。

おなじ情報しかないのに、ちがう判断をするひとがいることも学ぶのである。
こうして、トンチンカンを抑制することが、社会教育としていることに注意したい。

たかがハイキングなのではないのである。

たまには地図と磁石をもって、出かけてみてはいかがだろう?

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