夏休み 城崎から その4

桶狭間から高速に乗って,中央道小牧東で一般道にはいった.
城崎に向かうときはここで国道19号にはいったから,これから中央道をつかわずに甲府にむかえば,片道分は一般道になる.

JR中央線に沿って木曽川を眼下に進むと,木曽義仲挙兵の地の看板がみえた.
信長の時代から,さらに時間をさかのぼって源平のたたかいだ.
義仲は,木曽川をくだって名古屋にでたのではなく,逆にすすんで越後にむかうという意外性がある.

いわゆる「倶利伽羅峠の戦い」で,敵将は平家直系,清盛の孫の維盛だ.
維盛といえば光源氏の「再来」といわれたというほどの美形で有名だが,光源氏は小説のなかのひとだから,「再来」ということはないだろう.
それに,美形でも,残念ながら戦下手で,富士川の合戦に水鳥の羽音に驚いて大敗し,義仲との決戦にも敗れて行方不明になっている.

それにしても,通信が不便だったはずの平安時代とて,武将たちの行動には「情報」の裏付けがある.桶狭間の織田側勝利の要因に,敵方の動きを察知する情報戦としての側面が重要であるし,義仲の「都を目指す」はずの挙兵でありながら,越後への行動も情報あってのはなしである.
情報が過多になった現代,「情報」の取扱方法で明暗が分かれるというのは,義仲や信長からいわせればあたりまえすぎて「笑止」といわれるだろう.

朝方には木曽川河口の長島をみたのに,昼過ぎにはもう木曽の山奥深くにいる.
なんとも便利な時代である.
整備された国道365号にはいって,伊那から諏訪に向かう.
伊那といえば,先回ふれた伊那食品のお膝元である.

この会社も「すごい会社」で,社是は「いい会社になりましょう」である.
「良い会社」ではないのがミソだ.
言わずと知れた寒天の世界シェア7割という超優良会社である.
和菓子の材料からはじまって,いまでは医薬品や航空宇宙分野というところまで果てしなく成長している.若いひとに人気の「10秒チャージ」の基剤も,この会社が開発した固まらない寒天である.

長年社長を務めた塚越寛現会長は,「年輪経営」を表明している.

ずいぶん前に小布施を旅したとき,そこの喫茶店の主人が,「目の前の家の高校生が子どものときから優秀で近所ではしられていたけど,ことし,伊那食品に就職がきまって,それはもう近所中の自慢になりました」とほんとうに嬉しそうに語ってくれた.
こういうことをいわれる会社である.

投資銀行で事業再生を担当していたとき,新入社員を募集しようにも,地元県立高校の就職担当の先生が,「お宅に就職させる生徒はいません」といって面会もしてくれないことがあった.
前経営者の素行がわかるというものだ.再生計画をひっさげて説明にあがり,父兄会でもようやく理解を得たのがおもいだされる.

グンゼもそうだが,地域からの「信用」を得るには,ただしい思想が必要なのだ.
ただしい思想で経営をしないから,事業再生という事態になる.当然だが,おおくの再生案件で,従業員の気持ちの荒みかたにも共通点はおおい.
なにを勘違いしているのか,従業員を奴隷扱いして省みない経営者はおおい.にもかかわらず,「従業員を大切にしている」と口にしてはばからないから,人格をうたがうのである.

そういえば,グンゼ博物苑の展示で,金融機関からの「信用」のはなしもあった.
日露戦争後の不況で,地元銀行からの多額の借入があったが,その銀行が破綻して当時大銀行の安田銀行がこれを引き受けるにあたってのエピソードである.
郡是の借金のおおくが無担保融資だったので,安田善次郎が不審におもって現地を視察すると,農家や工女たちの「日本一の糸をつくる」という気概に感銘し,「創業者の魂を担保」に経営支援を約束した,とある.

いま,銀行という事業の困難さがいわれだしている.
例によって,金融庁に依存してなんとかしてほしいという論調が多数だが,この元凶をつくった日銀もほっかむりはしていられなくなった.
それでも,地銀の苦境はたいへんな事態だとおもわれるが,「不動産担保価値しかみない」という悪しき因習を強制したのが金融庁の検査マニュアルだった.

明治の末期に,金融庁という役所が「なかった」ことが郡是を救った.
借りる側も貸す側も,「事業の本質」を見きわめる目があればよいのである.その目をもつはずもない役人が,法律をたてに命令すればどうなるかは,子どもでもわかる.
ところが,昭和の役人は法律ではなく,勝手に書いた「通達」一枚で命令するから,「法治」ですらない.

これに裁判所も知らんぷりしているから,どこにも役人を規制するものがいない.
統治の仕組みが制度疲労しているのがいまのわが国である.
地方優良企業の歴史がそれをしっかり教えてくれる.

ついこの間まで羨望だった静岡県の銀行が一転しての不祥事でやり玉に挙がっているが,経営責任を経営責任として果たせばよいものを,またぞろ金融庁のお役人になんとかせよと依存するのはいかがなものか?とおもっていたら,今度は有力政治家による金融庁の情報漏洩が問題になった.
こちらにこそ,役人と政治家という恣意的な歪みの本質的問題がある.

「信用」というものを踏みにじると,あたりまえのように存在していた「秩序」がたちまちのように崩壊する.
そして,いちど失った「信用」を回復するには,並大抵のことではない努力をようするのは,ふつうのひとなら心得ている.

「情報」の取扱をまちがえて,「信用」をなくすのは最悪だ.
平安末期の,言っては悪いが山猿的武将すら心得ていたことだ.
そして,育ちからでるどうしようもない乱暴な振る舞いが,都人の信用を失って自滅した.
千年もまえのことを繰り返す愚が,今日も目のまえでおきている.

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