「城崎」のおわりとカジノ法

城崎をからめた道中をつづってきた.
この旅のさなか,カジノ法が成立したから,いよいよどこで開業するのか?に話題がかわる.
往復の旅でお世話になった宿はしめて6軒.
どちらさまも,カジノは他人事の風情であった.

政治家や役人が先行してからむと,かならずトンチンカンなことになる.
それは,彼らは決して直接のプレイヤーではないからだ.
どんな意図があるのかしらないが,これにマスコミが迎合するから,つねにトンチンカンがはびこる.

「国家戦略」といえば聞こえがいいように思えるが,それは国民への命令をともなうから,聞こえもなにもぜんぜんいいものではない.
「カジノ」も国家戦略である.

あらゆる博打は胴元が儲かるようになっている.
これは博打開催の仕組みであり,博打になるゲームの確率論でもある.だから二重の意味での数学のこたえであって,いまさらのはなしだが,公営ギャンブルがそれを証明している.

この国では,パチンコ以外は公営でないと罰せられる.
カジノ事業をやろうと投資するのは,どうやら外国企業のようだ.日本企業に,カジノをやろうという動きがないのは,ノウハウがないとかんがえられているからである.
しかし,国内のカジノ学校は盛況である.

つまり,カジノ事業のノウハウとは,カジノ学校でおそわるルーレットやカードゲームの手さばきとは次元がちがうことを意味する.
ここが,カジノの本質なのだ.

城崎で最近話題になったのは,文化財として指定されていた射的やスマートボールなどの遊技場(かつては大人の男性向け劇場だった)が,管理していた女性の退去により取り壊されたというものだ.
じっさいに,その場所は駅から直線で橋をわたった一等地で,道路をはさんで隣が外湯の「地蔵湯」である.すでにあたらしい建物の基礎工事が炎天下急ピッチで進行していた.

これは,あたかもカジノの時代の幕開けに,かつての遊技場が完全引退したという絵でもある.
地元ではどうせカジノができても大阪あたりの都会になるにちがいないから,城崎のような遠い場所では関係ない,とかんがえているはずである.
これは,全国の温泉宿でもおなじだろう.

問題はたくさんあるが,そのなかでもかなり基本的な認識不足は,温泉地でなくなりつつある遊技場や劇場と,自分たちとをシンクロしてかんがえることができないことである.
「温泉地の文化」としてかならずあった遊技場や劇場がなくなるのは「寂しい」といって,むかしを懐かしむのだが,その人たち自身も利用しなくなったのである.だから,ないものねだりにすぎない.

これは,「日本文化」としての旅館がつぎつぎと廃業するのは「寂しい」といって,最新のホテルに宿泊するようなものだ.
しかも,「コスパ」がいいという.
ところが,利用側でなくてビジネスホテルを経営している方がよほど「コスパ」がいいのである.部屋と朝食の提供だけで,余計なことはしないから,当然に利益率は高くなる.

街として,夕食提供にパンクするという現象も今回の旅で体験した.
諏訪湖畔の温泉地では,周辺にできた宿泊施設での夕食提供がないかわりに,街の飲食店を利用しようとするひとたちがさ迷っている.
事情をしるリピーターは,先に「予約」という手段をつかうから,事情をしらない旅人たちは夕食にあぶれるという悲惨をあじわうことになる.頼みの綱は,コンビニのお弁当である.これが,「コスパ」の結果でもある.

ふだん,こんな混雑どころか閑散としているから,この季節限定なのだと地元人は苦笑した.
笑えないのはあぶれた側で,夏の諏訪湖周辺は鬼門とこころえた.
満席オペレーションがめったにないから応対が遅く,それがまた混雑をまねく.
蕎麦屋で,もう蕎麦がないからうどんかご飯ものになるといわれ,しかたなく納得してから着席してようやく注文をしたら,うどんもご飯もなくなったという.

一体,想定客数をどう勘定していたのか?
それとも,すばらしい在庫管理というべきなのか?
こうなると,笑うしかない.

この蕎麦屋,自社ビルの上では宿もやっているというので,来年の予約をきいてみたら,「来年,この商売をやっているかわかりません」といわれた.
正直なのか?なんなのか?

長野県の別の地域では,システムが半年先しか対応していない,といわれてフロントで一年後の予約ができなかったことがある.二年連続でお世話になった宿だったが,これで利用をやめた.
ちなみにこの宿は,大浴場入口横の館内に居酒屋があって便利なのだが,部屋への料金付けはおろか,カードもつかえず現金のみの扱いで,「テナントですから」と意味不明な説明を「わたしパートですから」さんから受けた.
温泉宿の館内で,浴衣姿に財布持参でないと飲食できないという不思議であった.

これを劣化というのだろうか?
それとも,単なる無神経なのか?
経営者が経営をしないとこうなるのだ.

すると,カジノも経営の目線でおおくが見ていないということになる.
その証拠は,既存の公営ギャンブルの国庫納付との「公平性」を期したとおもわれる「納付金」の規定である.
「法」には,これをいくらとするのかが「別に法律で定めるところにより」となっているから,現状ではわからない.報道では「収益の30%」とある.これに法人税も課すはずだ.
すると,構造が中央競馬と似ているが新参のカジノにより厳しくなる.
競馬では,控除率が25%で,うち10%が国への納付で,さらに利益の半分が国という構造になっている.25%の10%(2.5%)ではなく,国10%と中央競馬会15%に取り分を分けているという意味だ.これが,対カジノでは既得権になった.

つまり,「日本版」というガラパゴス化したカジノは,数字的に最初から追い込まれている.
国も自治体も,カジノがほしいのは,この「納付金」がほしいからだ.30%を国と自治体が折半するはなしになっている.
そして,これを「観光振興」につかうというから,業界を補助金漬けにして支配するというのだ.
ほんとうに,誘致を希望する「観光業界」も補助金がほしくてたまらないのだろうか?

ただし,この原資を負担するのはお客様である,という根本が抜けている.
収益の30%が最初から他人に抜かれるギャンブルをどうおもうのか?
「勝てない」となればパチンコだって行かない.
ましてや,高額入場料とマイナンバーカード提示による個人情報までとられて,「勝てない」なら,こんなばかばかしいものはない.

経営をしたことがないひとたちがやると,こうなる.
おそらく,世界のどこにもないキラキラな「建物」をつくればいいとかんがえているのだろう.
中身のない建物なら,お隣の半島国家の北側にたくさんある.
発想があのお坊っちゃまとおなじで,この国では超難関大学出身のエリートなのだ.

気が滅入ることこのうえない.

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