夏休み 城崎まで その1

どこもかしこも寂れた街がつづく.
このところ,なるべく高速道路はつかわないで,一般道路で移動している.
高速道路は,街を点として,点と点をつなぐ機能にすぐれているが,その地域に住むひとたちの暮らしをかんじることはほとんどできないという欠点がある.

一般道路は,通過するだけでも変化をかんじる.
国道ならば,全国チェーンの店もあるが,地元ローカルも点在するし,県道や市道になると,住人の息吹を街並みから垣間見ることができるような気になるから楽しい.
もちろん目的地まで時間はかかるが,それが旅というものだとおもえば,時間の節約はかえって野暮になる.

今回は,初めてずくしである.
長野県の伊那から中央道に乗ったものの,東小牧で一般道にはいった.ここからが「初めて」になる.
向かうのは,琵琶湖沿岸の長浜城近くの宿である.

夕食は宿ではとらずに外に出た.
夕方といえども,日中の灼熱が続いているから,とにかく暑い.
秀吉最初の居城としてしられる長浜城は,市民有志によって「再建」されたというが,残念なことに鉄筋コンクリート造りである.

市をあげて,秀吉の自慢はわかるのだが,長浜城のかつての姿はいかなるもので,それが城下として,現在の街のひろがりにたいしてどう比較できるのかかが,さっぱりわからない.
街を歩いていると,突然,「大手門跡」がでてきたりする.かつての城の大きさが忍ばれるとはいえ,例によって,他地域のひとにやさしくない.

朝,城のある公園をひとまわり散歩してみた.
すると,琵琶湖に沈んだ位置に,「秀吉の井戸」の遺構があった.
看板には,それを矢印でしめすだけで,なぜいま琵琶湖に沈んでいるのかわからない.
ここに井戸を掘るとき,そして完成したとき,秀吉本人がそれを直接みて大喜びしたにちがいない.
そんなことをより具体的に想像させる,材料がどこにもない.

しばらく歩くと湖畔に,ビニール袋が膨らんで落ちているのかと見間違えるものがある.草を踏んで近づくと,ガラスでできたボート型のオブジェで,「琵琶湖周航の唄」の記念碑であった.
これにも,なんの説明がない.
悲惨なボート事故に唄われる「地名」に長浜があるからなのか?
不明である.

そこから30mほどの場所には,長浜城の巨石の遺構がある.これには,発掘にかんする説明があった.
この公園の「埋め立て工事」によって発見されたとあり,その配置が刻んであるが,なぜか縮尺がない.それで,どのくらいの大きさだったかが,わからない.

わかったのは,公園を管理する市役所の看板がバイリンガルで,日本語とスペイン語だったから,この周辺にはスペイン語を話すひとが英語を話すひとより多そうだということだ.
いまはヤンマーの城下町だから,その影響なのか?

それに,ボランティアによる「ゴミ箱の(必要)ない豊公園に向かって進んでいます.」という不思議な看板と,花壇にあった市役所の「花を持ち帰らないでください」という看板が,妙に印象にのこった.
ゴミとともに,花も持ち帰るひとがいるのだろうか?
そういえば大阪のホテルが開業したときも,周辺に飾った花を近所のひとが鉢ごと持ち帰っていたのを思いだす.
係員が注意すると,「えっ!あかんのか?」という報告があったから,花の愛で方が関東とちがっていた.

琵琶湖が見渡せる場所から,沖合に「林」のようなものがみえた.あれはなにか?
ここからなにが見えるのか?
案内表示はどこにもない.
さっぱりした公園だったが,ドイツのディーゼル博士とヤンマー創業者の胸像がならんでいて,そのいわれと姉妹都市の説明は詳しかった.

出世に邁進した秀吉の,サービス精神が微塵も後世に伝わっていないことだけがわかった,という収穫があった.
ときに,長浜市は市議会選挙のまっただ中でもあった.
おそらく,何も変わらないのではなくて,何も変えたくない,ということを確認することになるのだろう.

わたしの人生で,あと何回この地を訪れることになるのかわからないが,個人的理由で積極的に訪問することはないだろう.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください