妄想の「自民党改革」

「できっこない」ので、「妄想」である。

総裁候補が「改革」をうたうのを、企業に例えたらどうなのか?
企業なら、従業員がいきなり「社長」になることは少ない。
だいたい、既に取締役になっていて、そこから選ばれる、という段取りが日本企業の「ふつう」だ。

昔の自民党は、一応「党三役(幹事長、総務会長、政調会長)」という役職を経験したか、「大蔵(財務)大臣」を経験しないと、その「実力」が認められなかったものだから、民間企業の役員と似ていた。

しかしながら、民間企業で「役職」があって、自分がトップになるかならないかのときに、「改革の構想」を言うようでは、ぜんぜん「遅い」のである。
それなら、今の立場(既に重職)で改革を考えも、やりもしなかったのか?と言われてしまう。

だから、民間企業でも、トップ交代時に、引退して会長になる人物を横に、「これから改革をします」という新社長の体制で、その改革をまっとうできたひとがいないのも、「なってから考える」という他人ごとでやってきたひとに、たまたま社内のパワーバランスから選ばれたしまった不幸なのである。

民間企業ならほとんどが、その影響力の範囲は一国の政府ほどではない。
なので、その不幸は、その企業のステークホルダーには及ぶけど、それ以外では何もない。
けれども、これが、「政権党」ともなれば話は別である。

すると、「筋論」からしたら、現職の政調会長だったひとが最も後継者として相応しいはずだけど、なにせ候補者の全員が「党改革」を言い出したから、話の筋が通らなくなった。
役職があるときに言わないで、候補となったら言うのでは遅い。

それに、役職経験がないひとが候補になっているけど、このひとたちも「ふだんから」党改革の必要性を唱えていたわけでもない。
さらに、総務会長とかを経験はしたけれど、結局は実力がなくて交替させられたひとは、その後もこの経験を活かして、党改革に何等かのイニシアチブをとってきたわけでもなく、「実力者の腰巾着」になってしまった。

さて、わたしの妄想である。
最大の改革ポイントは、「近代政党になる」ことだ。
何度も書いたが、近代政党の条件とは、
・綱領
・議員
・組織 の三条件が全部あることだ。

自民党改革の最大の問題点でかつ、実現不可能なのは「組織」とそれに連なる「議員」が、ない、ことと、いない、ことだ。
組織が「ない」とは、第一に「全国組織」のことで、いまの「議員の後援会組織」のことではない。

第二は、「党独自のシンクタンク」という組織を持つことだけど、伝統的にこれを「官僚組織」が引き受けている。
なので、政治が「官僚のいうがまま」になるのだ。

もちろん、派生的に、地方組織でも「予備選挙」がふつうに実施されないといけない。
選挙区ごとに、党内予備選挙での勝者が「本選挙」に出馬する方式だ。

よって、党員には党費納入の義務だけでなく、予備選挙での投票義務と、他の選挙区における「お手伝い」の義務も生じる。
本選挙における投票の義務は言うまでもない。

こうなると、都道府県・市町村議会議員選挙から、市町村・都道府県首長選挙、国会議員選挙に至まで、全部の候補が予備選挙の勝者で行うことになる。

面倒なようだけど、欧米式の「近代」選挙とは、こうした方法がくまなく実施されている現実をみれば、面倒ではない。
逆に、これを、「面倒だから実行不可能」というなら、わが国は絶対に「近代民主主義・政党政治」が不可能だというに等しい。

つまり、「妄想」になるのである。

不可思議なのは、「啓蒙主義」がだいすきな、わが国の大手マスコミが、この「妄想」の実現を推進しないことだ。
その何故?を考えるという「妄想」もある。

おそらく、野党がついてこられないのだ。

その野党の最大のスポンサーは、いつでも「労働組合」であったし、おそらくこれからも変わらないだろう。
けれども、労働組合という組織では、ちゃんと「選挙」をやっているはずである。

そうやって、選ばれたはずのひとたちが、どういうわけか「近代政党」としての選挙ができない政党を支持している。
むしろ、近代的な政党よりも、ただの「社会主義者」を選べば、労働組合員という「管理職以外のひとたち」の生活が向上すると、伝統的な骨髄反射をしていないか?

すると、わが国の「保守本流」とは、このような発想をする「左翼の皆さん」のことを指すことになる。
それがまた、吉田茂という「グローバリスト」の流れをくむ集団を、自民党内で「保守本流」と言ったから、意味が合致する。

本当は、岸信介が満州国で成功させた社会主義の筋からしたら、よほど吉田と張り合ったかがわかるのだが、巣鴨での「取り引き」で、サラリとアメリカ民主党(CIA)の手先になった。
そんなわけで、「清和会」も、見た目でわかるグズグズになったのを、一刀両断で両派を破壊しつくしたのが、田中角栄の天才だった。

死せる孔明、生ける仲達を走らすのごとく、角栄の「困った思想」が、いまだに、いや、永遠に自民党を近代政党にさせることはなく、どんな「改革」も無意味にするのである。

しからば、最後の「妄想」とは、自民党が、「超新星爆発」のように解党するしかないのである。
これがタイミングは、外国からの侵略が決定的となる「前」でなければ意味がなく、アメリカが安定の共和党政権でなければならなかった。

すると、手遅れ、かもしれないのである。

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