沼津市役所の設計思想

旅人は、旅先の役場を訪ねる目的をもっているわけではないけれど、街の中心部にあるのが「役所」なので、観光の便利さから駐車場やトイレのために寄ることはある。

なにも新幹線だけが原因ではないだろうけど、「駅建設」に大反対して隣町の三島に新幹線は停車することになったのだった。
前は「こだま」しか停まらなかったけど、「のぞみ」ができて「ひかり」が急行扱いになった三島には、たまに「ひかり」も停まるようになった。

それに、三島には新幹線の車両基地もできた(開業当初は静岡)から、「終電」は三島止まりになるのである。
名古屋と東京の中間地なので、企業が三島に注目したのは工場だけでなく、「研修所」の設置であった。

そんなわけで、北口にはご本家JR東海の研修所があり、その先にはホテルと見間違えるほどの、東レの研修所がある。
ここで、五日間×2回の「公認MTPインストラクター研修」を受講した。
当然だが、東レは会社ぐるみでMTPインストラクターを自社養成するにも、この施設を使っている。

三島と沼津は近接している街ではあるけど、それゆえに歴史的にも「仲が悪い」ので、平成の大合併で一緒になることはなかった。
ついでに、警察も、三島署と沼津署は別々である。

数年前に、沼津商工会は、かつての「新幹線駅反対運動」を反省して「詫びた」ことがニュースになった。
詫びたのは、反対運動に熱心だった経営者たちの「孫」である。
隣の三島の発展に対して、沼津の衰退が止まらないことが背景にある。

たとえば、「駅前デパート」の経営者は、新幹線ができたらみんな東京のデパートへ買い物に行ってしまう、と本気で心配したようだ。
たしかにご心配ごもっとも、と言いたいけれど、停車する電車の本数や料金を「コスト」としたら、そう易々と沼津市民が東京にお買い物に行けたはずもない。

だから、「杞憂」だったのではあるが、市内の産業が三島にシフトして、購買力を失う問題になってしまった。
それに、自動車の普及があるし、高速道路もある。
残念ながら、この反対運動は、市民のため、にはならなかった、ということだ。

暴れ川として有名な、狩野川の河口に位置する沼津市は、大堤防に守られている「要塞都市」でもある。
この地形を利用したのが、沼津城であったけど、反幕府の明治政府によって無価値とされて、「競売」に出されるという事態となった。

それから、東海道線の駅と駅前大通りになって、城地はかつての見る影もない、という「観光」ができる。
『荒城の月』よりも、はるかに悲惨な近代の「遺産」なのだ。
これは、「平和」がなしたものだという意味で重要だ。

そんなわけで、城を背に狩野川を渡れば、現代の沼津城としての市役所がある。
こぢんまりとした建物は、好感が涌き出るけれど、なんだか様子がおかしいのだ。

以下は、全部「見た目」であって、しかも、「観光客目線」だから、役所を利用する住民目線ではない。
なお、新築された横浜市役所を自慢する気は毛頭ない。

さてそれで、どこが「変」かといえば、正面の車寄せを含めた広場が、広さの割に閑散としているのである。
看板をみたら、公用車などの関係者以外は入るべからず的な内容であった。

はは~ん。

「秘書課」が頑張って、市民を追い出したのか?それとも、現職以前からの市長か議長かはわからないけど誰かが命じたのか?それとも、議員にへつらう「議会事務局」なのか?
要は、市民を追い出したことは間違いない。

市のHPにある市の歴史で、「新庁舎が完成」をみると、
「人口30万人を想定して昭和41年(1966年)に建設された。この建物は、狭い敷地を有効に利用するため、高層建築(8階)とし、市民広場の性格をもったピロティ(基礎杭)を議場棟の下に設け、前庭的なゆとりをもたせている。

またその内部は、市民の生活に一番関係の深い戸籍・住民登録・証明・小中学校の転出入・保険年金などを取り扱う市民課や国民年金課などの窓口部門を1・2階に集約するなど、市民へのサービスを重視したものとなっている。」

とある。
だから、当初設計の「市民広場」から、市民を追い出したことがはっきりわかるのだ。
「市民へのサービス重視」という文言が、「軽い」のである。

なお、「人口30万人を想定」とあるけど、沼津市の人口は平成7年に21.7万人をピークとして減少し続け既に20万人を割り込んでいる。
イケイケの高度成長期の予想だったのであるから、新幹線駅反対運動との理論的「連携」があったと推測できる。

当時も今も、御用学者が建設委員会にいて、「人口推計」を都合よく書いたことがよくわかる。

ところで、自動車でここを訪問したら、道路を夾んで向こう側の自走式立体駐車場へ行かないといけないのだが、この駐車場の入口と出口は、同じ路面1カ所だけで、入庫・出庫方向も1方向しかない。
これは、「どんな設計」なのか?

しかも、沼津市を歩いていて気づいたのは、歩道橋のある交差点に横断歩道が「ない」のだ。
よって、この立体駐車場は、2階と歩道橋が直結しているので、市民はここを通るしか市役所に行けないが、エレベーター等の設置はない。

どこまでも、市民は横に置く、「新・沼津城」なのであった。

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