履歴書に顔写真を貼る意味

ずいぶんと前に書いた話の、別角度からの蒸し返しである。

履歴書に顔写真を貼らせる文化は、おそらく世界の先進国で日本「だけ」になっている。

もちろん、日本は先進国なのか?と問われると、「もはや経済でも一流ではない」と歴史的発言をした、2008年1月18日の大田弘子経済財政相の「経済演説」から何も変わっていない。

この演説は、毎年通常国会がはじまると恒例の「政府4演説」の中の「経済演説」であった。
他には、内閣総理大臣の「施政方針演説」、外務大臣の「外交演説」、財務大臣の「財務演説」がある。

大田大臣が指摘したのは、ひとりあたりのGDPが、OECD加盟国のなかで18位になったことを根拠にしている。
2021年のデータでは、さらに「落下」して、加盟38カ国中23位となっている。

ちなみに、わが国のひとりあたりのGDPでの「ピーク」は、1997年の「4位」だった。
1位:ルクセンブルク、2位:スイス、3位:ノルウェー。
1位と2位の順位は、いまも変わっておらず、ノルウェーが4位になっている。

さて、1997年とは、平成9年のことである。
この年の、総務省統計によると、各家庭でのインターネットの普及率は、9.2%だった。
これとパソコンの普及率は、ほぼパラレルである。

2020年では、これが83.4%になっている。

すると、いまようにいえば「デジタルトランスフォーメーション」をすると、国民ひとりあたりのGDPが「下がる」ということになっているのだ。

昨年12月の「企業PC実態調査」(Biz Clip:NTT西日本が運営するサイト)による従業員数別に見てみたところ、99人以下の企業でも90.4%と9割を超えて、5000人以上の企業で98.6%、1万人以上の企業で97.5%と、高い導入比率の中でも大企業のほうがより高いことがわかった。

これは、大企業の方が「生産性が低い」かも、という仮説が成りたつ。

ならば、OECD加盟国のインターネットやパソコンの普及率は、低いのか?といえば、そうでもない。
ただ「バラツキ」があることは確かだ。

すると、なにがこんなにも「ちがう」のか?

わたしは、マサチューセッツ工科大学(MIT)が、1989年に発表した『アメリカ再生のための米日欧産業比較』(MIT産業生産性調査委員会)、邦訳は『Made in America』(草思社、1990年)の「訳者まえがき」にヒントがあるとかんがえている。

その訳者、依田直也氏の経歴は、同書によると、工学博士だけでなく、トップ・マネジメント経営理念、長期的経営戦略、産業政策論、未来論といった専門分野が広く、出版当時は東レ経営研究所専務であった。

さてそれで、依田氏の指摘は、レポート本文で「かつての強みが、弱みに変わる」ことに注視していて、日本の強みが弱みになることの「警告」をしている点にある。

また、MITの方々がサジェッションしてくれた、「日本も民間でこのような(本書のような)調査をすべき」を、日本人は「やらなかった」ことにあるとかんがえている。
つまり、日本人は、民間でなく政府に依ったのであった。

なぜ、MITの方々は「民間で」にこだわったのか?
それは、経済活動はあくまでも「民間部門が主体」だからである。
むしろ政府は、その民間経済活動の邪魔をしたがる存在だからでもある。

もちろん、ぜんぶが「自由」ではなくて、安全にかかわる「規制」は、政府の仕事である。
しかし、それ以外の規制は、政府に利権をあたえる手段になってしまうものだ。

この「安全」には、消費者への安全はもちろん、経済安全保障という側面もあるのは、国民経済を守ることも、政府の仕事だからだ。

すると、わが国の問題点は、組織運営のマネジメントに関する訓練が、産業界の常識になっていないことが、国際競争での「敗北原因」ではないか?とおもわれる。

つまり、「経営力」の弱さをいう。

これは、経営者の経営力でもあるし、管理職の管理能力でもある。
わが国は、幸か不幸か、敗戦後の「公職追放令」によって、従業員から経営トップになる「慣習」がつくられた。
人事用語でいえば、資格要件を満たさない人が、社内昇格することになったのである。

これを、「三等重役」と呼んだことは、前に書いた。

もちろん、欧米のやり方がぜんぶ正しいとはいわないけれど、彼らの仕組みは、良し悪しでなく、経営者や管理職は、それぞれが「専門職」として扱われていることに注視したいのである。

わが国では、なんとなく「総合職」という区分になるけど、「総合」ゆえに、人材育成についての個人別将来計画が存在しないで、場あたり的な異動と昇格が「ふつう」なのだ。
「偶然」が支配するようになっている。

偶然巡り会った上司や同僚によって、職業人生がつくられていく。

そんなわけで、応募の時から「履歴書に写真」をつけて、善男善女の印象操作を若者に強いるのは、入社後の評価とおなじ、中身よりも見た目重視の安易があるとかんがえてよい。

こんな企業組織風土が、国全体の経済を「落下」させているのである。

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