日本も訴訟社会になった

訴訟社会といえば、アメリカの文化である。
これは、建国の理由を含めて、あちらの国では「常識」になる必然である。
「権利」の主張こそが、「個人」の存在を際立てさせるからである。
逆にいえば、主張しない個人は埋もれてしまうか、隠棲しないといけない。

実に、野蛮な文化性であると見たのがわが国伝統価値からの常識だった。

ただし、すぐに「和を以て貴しとなす」を思い浮かべるけれども、ある意味で「泣き寝入り」も常識だったのである。
しかし、泣き寝入りができたのも、生まれ変わるという「輪廻転生」の仏教思想が常識だったからだ。

ところが、仏教思想を信じる日本人が小数派になって、「現世利益」を求めるのが多数派になったから、もう「泣き寝入り」が「正直者が馬鹿を見る」だけになって、ついでに「正直さ」という美徳をも「損」だとして一つも「利益」にならなくなった。

「嘘も方便」が、とうとう美徳にさえなったのは、バブル期の「拝金主義=金儲けしたが勝ち組」が生きているばかりか、社会に「蔓延」したからである。
ありもしない「ウィルスの蔓延」とは、このこと「だけ」を指している。

では、いつから「現世利益」の日本人になったかといえば、実は徳川家康が仕組んだ「仏教骨抜き政策」の、「檀家制度」にみられる、わざと仏教界を堕落させる方策だった。

要は、「保護」と称して、ひとの心をあやつる宗教の「棘と骨を抜く」ことで、政権維持を最高の目的としたのである。
東ローマ(ビザンツ)帝国の東方教会保護は、西ローマ帝国が滅亡してなお組織化で生き抜いたローマ・カトリック教会とは真逆の「堕落」をさせたのと同様だ。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とか、坊主丸儲け、とかを江戸の庶民が言って、これが今も残るのは、「堕落が日本仏教の文化」にさえなったからである。
こうして、明治近代が用意されたとしたら、わが国がアジアで唯一近代化に成功した要因に、徳川家康の功績を認めなくてはならない。

これが、端から見たら「アメリカナイズ」された姿の原点なのである。
だから、表見的にも、アメリカ人のように野蛮になったのであって、そんな野蛮なアメリカに憧れるように仕向けられて育ったのが、戦後の日本人なのである。

これに、テレビや新聞・雑誌がおおいに貢献した。
わが国に「ドレス・コード」は絶滅したが、「プレス・コード」はいまでもあって、後生大事にされている。
NHKが国民の敵になった原因に、プレス・コードが憲法よりも上位に置かれていることがある。

しかして、このことが日本社会に深刻なのは、元から野蛮だったアメリカとはちがって、高き精神のところから低きところへ「墜ちた」ので、そのショックが、じっくりと社会に衝撃を与え、ついには破壊することになるのも必然なのである。

それが、「正義の相対化」である。

かつての日本人には、「正義は絶対」だったのだ。
堕落させられて自浄作用も失った仏教に変わって、近代化を目指す明治の元勲が発明したのが、「日本教」だった。
天皇をキリストにすり替えて、「絶対正義」を構築したのである。

これが、「廃仏毀釈」運動であり、「四民平等」の絶対的根拠だった。
天皇以外は、博士だろうが大臣だろうが、はたまた極貧であろうが、全員が同じ身分ということの論理なくして、対等な取り引きはできないから、資本主義になり得ない。

ゆえに、戦後の天皇への攻撃・否定論とは、正義の相対化による資本主義への攻撃にほかならない。
こうして、わが国の国力たる経済力が衰退してとどまるところを知らないのである。

よって、貧困化する国民の不満を醸成した「革命の下準備」が着々と進行しているのだ。
むやみやたらの「緊急事態宣言」による経済破壊工作とは、このことを指す。

正義が「崩れた」ゆえの、訴訟社会になったから、最初から訴訟社会の国と比べても、その害が大きくなるのは、振り幅が大きいからだ。
つまり、高き所から墜ちてマイナス側に「めり込んで」しまった。

いかに野蛮と言えども、アメリカ人の半分は「保守派」と日本語で表現される、「厳粛なプロテスタント(英国から逃避してきたひとたち)」である。
このひとたちが、「共和党・保守派」を形成していて、「RINO(Republican in name only:ライノ:名ばかり共和党員)」とは区別する。

ちなみに、RINOは、かつての「共和党・主流派」を指すようになった。これは、敬虔すぎるプロテスタントのトランプ氏による区別のおかげである。
最近では、「ネオコン」のブッシュ親子大統領を指すのだ。

戦争をビジネスと捉える、民主党とネオコン(新・保守)は、産軍複合体と合体している。

トランプ氏が各方面から嫌われ貶められる原因は、産軍複合体を「悪」として、この破壊を目論んだからだった。
なので、産軍複合体からタップリと現世利益を得てきたひとたちには、許しがたい存在となるのは当然なのだ。

また、国際的に見れば、産軍複合体の「完成形」が、共産主義国家なのである。
これが、トランプ時代の米中対立の思想的原因であって、トランプ氏が徹底的破壊を目指した原動力である。

そんなわけで、わが国を俯瞰すれば、「保守党」のはずだった自民党の堕落は、共和党・主流派=RINOに、日本的変容をした結果なのである。
そして、日本的・産軍複合体を「保守」することに重きをなす勢力と、アメリカ民主党的勢力の複合政党になってしまった。

だから、アメリカ共和党保守派が政権を奪取した折には、わが国にカウンターパートたる相手の不在に気がつくことになる。
この意味で、日本的RINOの安倍政権は、見事「欺瞞」に成功したといえる。

ところが、菅政権にそんな「欺瞞」ができる演技力もないから、アメリカ民主党政権の言いなりをやっていて、とうとう「自分を見失う」ところまでになってしまった。
「番頭」が主人になれなかった、現代の例となった。

国民=民間は、追いつめられてしまってたまらず、国家を相手に訴訟をするしかない状態になったのである。
「行政訴訟は勝てない」という過去の常識が、これからも保守されるのかどうなのか?

政治家を選ぶ愚民の堕落が裁判所にも伝染・影響しているなら、やっぱり「勝てない」から、もはや現代の「踏み絵」となっている。
これからの三連発の選挙(横浜市長選挙、自民党総裁選、衆議院議員選挙)が、未来の「分水嶺」となる。

そこで、ドラッカーの二冊。

 

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