社内調査をしても不正が発見できない

日本を代表する有名企業の「不正」が絶えないばかりか、相次いで「発覚」している。
最近では、三菱電機の鉄道車両用エアコンの不正があたる。
こちらは、35年以上にわたっての不正で、専用の「検査済み」プログラムも開発していた。

また、サイバー攻撃による社員情報流出問題で、昨年には社長直轄の「情報セキュリティ統括室」を設置して一元的に対策を実施したという。
自動車大手による「完成検査不正」が相次いだのと同様に、「社内調査」を何度やっても「発覚しなかった」という症状が共通にある。

今回の三菱電機のケースでは、社内で不正が発覚した後に開催された「株主総会」でも、なんらの説明も「なく」、社長は取締役会でも報告しなかったが、「翌日」に発表して、社長を「辞任」している。

再任された翌日の辞任だから、このひとは社内で発覚してから株主総会までの間に、なにを決断したのか?と問えば、自身が「スケープゴート」になるということだったのだろう。
そうしなければならなかったのは、取締役に、元検事総長や元外務次官、元メガバンク頭取が顔を連ねているからでもあると妄想する。

つまり、「会社を守るため」という発想だ。

これは、どこかで「観た記憶がある論理」だ。
池井戸潤原作の『空飛ぶタイヤ』を思い出した。
名優、 國村隼が演じるところの「企業の責任者」が独白する「論理」が、同じなのである。

もちろん、このドラマの「元ネタ」は、三菱重工から分かれた三菱自動車が製造したトラックが脱輪して起きた、「横浜母子死傷事故」であって、「リコール隠し」という企業犯罪が背景にある。
ドラマと実話が食い違うのは、大団円となるドラマとはちがって、実話は「やりきれない」ことになっていることだ。

被害者の母子が生き返ることはないし、運送会社も廃業した。
それでも、三菱自動車は存在している。
三菱重工もジェット旅客機の開発に失敗して屋台骨が傾いたけど、そこから分かれた「三菱電機よお前もか」すら、もはや二番三番煎じになってしまった。

だから、「どうした三菱財閥」ということになっている。
もちろん、日本の製造業にわたっての「不祥事」なので、もっと広くて深いのである。

すると、本ブログ的解釈をすれば、「経営が下手」なひとたちが、「経営している」としか結論できない。
では、どうして経営が下手なのか?を問えば、「思想がちがう」からである。

その思想とはなにか?
「権威主義」で発想するからである。
では、どうして権威主義で「発想してしまう」のか?
そうやって、「育った」からだ。

それはいったい「いつから」なのか?
わたしは、「70年代の絶頂」にあるとかんがえている。
80年代はこれを維持できたけど、背骨が歪んでしまった症状が、90年代にバブルとして発症してからとうとう慢性化した。

例えば、どういうわけか「松下政経塾」出身の「政治家」で、まともな人材がひとりもいないから、このところ、「松下幸之助の失敗」とも陰口を叩かれている。
それなら、「本体」の松下電器改め、「パナソニック」はどうなのか?

とっくに、「幸之助」氏は「神棚」に祀られる「だけ」になっている。
この「だけ」には、「形式的」という意味しかない。
つまるところ、「幸之助氏の精神」が祀られているのでは「ない」のだ。

それで、この「だけ」を社員に強要するなら、即座に「権威主義」だといえる。
この環境に、勉学優等生たちが大挙して採用されるから、とうとう「権威主義」が「社是」になるのである。

そして、「社是」を社是として具現化した「テクニシャン」が、社内昇格して、「経営者」になる。
よって、歴代の経営者が、社是による経営を押し進めるほどに、権威主義「しか」ない組織になるのである。

このようなトップは、新入社員の「採用」にも、育成のための「研修」にも興味はない。
なぜなら、「テクニシャン」を採用、養成すれば、「自動的」に社業は発展すると発想するからである。

これを、「否定できない」のは、自身の社歴がその通りだからだ。

こうやって、わが国は「経済・幕藩体制」となった。
各企業が「藩・化」して、中央政府が「幕府・化」したからだ。
武士には、「家格と家禄」の二重相続が適用されたけど、「一代限り」というのがいまのルールである。

「日吉丸」からスタートして、「豊臣秀吉」になった人物のごとく、各藩では藩内競争を、職業人生をかけて強いられて「育つ」のだ。
これに、織田信長のごとき「御屋形さま」が、幕府のように存在して各藩にミッションを命じるのである。

しかして、藩化した企業も、幕府化した政府も、身分は入社・採用時の学歴と試験(科挙)で決まる。
よって、「中級以下」の藩士たちは、自分たちの「居心地の良い(安定した)世界」を企業内に作り出す。

だから、上級身分から命じられた「調査」を何度もやっても、「発覚」しないのだ。
すなわち、「横流し」が「組織のサブカルチャー」になって「定着・固定化」するのである。

企業人に、「哲学」が最優先かつ必須の理由なのである。
創業者が「儲け主義」の「財閥企業」には、なかなか「創業の精神」に戻れない、「弱点」があるのだけれど、「創業者」の立派な「創業の精神」を忘れる努力に勤しむの愚は「歴史なきアメリカのMBA」が蝕んでいるともいえる。

次は、どの業界のどの企業の不正が発覚するのだろうか?
他人事ではない、のである。

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