日銀の限界でインフレは?

えらいこっちゃ、えらいこっちゃ!
日銀がとうとう金利を上げた。
0.25%上げたのだ。
で、昨年末、「0.5%」になったのである。

正確にいうと、10年もの国債の利回りのことだ。

国債といっても、償還期間にいろんな種類がある。
そのなかで、「10年もの」というのは、世界各国の国債と比較するのに便利なので、指標になるのである。

1年以内の「短期」だと、各国の作為的思惑が影響してしまうし、30年ものの「超長期」だと、生命保険会社のような機関投資家だけしか購入しないから相対で販売して、個人は参入できない。
保険を掛けたお客さんがふつうはすぐに死なないので、支払までの長い期間で運用をしないといけないのは生命保険会社ぐらいだからである。

このことをかんがえたら、生命保険に加入するより、個人が超長期30年もの国債を買った方が、手数料を生命保険会社に払わないで済むので効率がいいけど、国債市場は個人に開放していないから、これができないのは上述の通りだ。

まことに、個人に不利な制度になっている。

日銀に、無理やり「異次元の金融緩和」という看板を掲げさせたのは、安倍晋三氏だった。
彼は、「新日銀法」の改正をほのめかして、さらに抵抗する白川総裁を降ろす人事をやって、いうとおりにする黒田財務省財務官を起用した。

ちなみに、「諸悪の権化」と評されて事実上解任された、白川前総裁は2021年4月20日に、英国議会貴族院に参考人招致され、主に「量的緩和」についての問題を鋭く質問された。
貴族院は、選挙で選ばれない「貴族」からなるが、「専門家」で構成されている。
この公聴会では、元イングランド銀行総裁マーヴィン・キング卿も質問に立った。

白川氏の説明で印象的なのは、サマーズ元米国財務長官が述べた、「日銀の失敗」を引用して、金融政策でインフレを引き起こすことの限界を述べたことである。
そして、最大の問題は、「生産性の低下」だと。

じっさい、わが国の生産性は、アベノミクスによって、著しく低下して「先進国ではない」状態になってきている。

なお念のため、日銀総裁人事には変な慣例があって、日銀プロパー、財務省、学者の3カテゴリーから輪番で就任することになっている。
だから、合併した銀行が、頭取人事を交互にやるのを妨げられない。

ただし民間銀行だと、それぞれの銀行に最後に入行した新人世代が全員定年退職すれば、必然的に「融和」するけど、日銀は永遠にこれをやるだろうから、たちがわるい。

「適材適所」がかなわないのは、国民にとっての悲惨を呼ぶ。
ただ、「適材」がどこにいるのかわからない、という問題が、深みにあるのだ。
しかも、英国議会がしたような公聴会を、わが国では参議院さえも実施していないのは、公選による議員に専門家がいないからだともいえる。

ガーシー議員への懲罰委員会が、これを象徴しているのである。

新日銀法ができたのは、バブル崩壊の反省からだったけど、旧日銀法は戦前からのものだった。
なにを反省したかといえば、政府のいいなりの子会社、という位置づけをやめて、明治に設立して以来、初めて、政府から独立したのだった。

使命は、「物価の番人」である。

これを、安倍氏は「政府による支配に戻すぞ!」と脅迫したのだ。
それで、財務省の財務官だった黒田氏を指名して、法律は元に戻さないけど、政府による支配を実現させた。

これはこれで、政治家の意思を通したのが安倍氏だった。
その功罪は所説あるので、ここでは触れない。
ただし、緊縮財政派と金融緩和派との争い、という二元論が大半だから、白川氏のいう「生産性」の議論は日本の金融政策にない。

バブルが崩壊して30年以上になるけど、ひと世代まるまる時間をかけて「デフレからの脱却」ができなかったのは何故か?
これだけ金融緩和してもできなかったのは何故か?

という議論が、できないことの不思議は、為政者や御用学者が、脳軟化か脳梗塞かのどちらかに罹患していることが原因ではないか?と疑うのがふつうではないのか?

そもそも、「バブル」を人為で崩壊させるひつようがどこにあったのか?ということも、あんまり議論されないできた。
日本の「平成バブル」とは、昭和の終わりからはじまったけど、その「経済の巨大化」を、「日本開国」目線から確認すべきなのである。

つまり、世界での位置付け、である。
なにしろ、この30年以上、とにかく、世界でわが国「だけ」がずうっとデフレだからだ。

デフレとは、おカネの価値が上がって、モノの価値が下がる現象をいう。

日本は「円」を発行して流通させている。
コインの硬貨は、政府が発行していて、紙幣は「日本銀行券」と印刷の通り、日銀が発行している。

どちらも、政府が決めた「法定通貨」だから、日本人は円貨以外の通貨を使うことができない。

しかしながら、「通貨発行益」というものが発行者には与えられる。
たとえば、1万円札の原価は、ぜったいに1万円しない。
この差額が、発行者の利益になる。
これが権利化するから、究極の利権である。

政府は1円玉では損をしているけれど、500円玉では利益がでる。
ただし、発行額は年3000億円程度なので、たいした額ではない。
なので、やっぱり興味は日銀に移る。

そこで、日銀が引き受けた国債を担保に、政府による紙幣発行のアイデアがある。

政府が発行した国債を日銀が引き受けるということは、日銀から政府口座へ振り込まれる円を、日銀券としてではなくて、政府紙幣にするという話である。
このとき、政府紙幣をデジタル通貨とすれば、これはこれで究極のバラマキになるというのだけれど、それなら国債を無限に発行できるのか?

あるいは、日銀とはなにか?という問題に拡がる。

じつは、中央銀行という制度は、よくわからない制度なのである。

ここに、問題の本質がある。
我々は、よくわからない制度の上で生活しているのだ。

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