星新一の「長編小説」

生涯で「1001話」を超える作品をつくったこの人は、「ショートショート」という「短編中の短編」を得意にした「文豪」であったと評価されている。
しかしだからといって、「長編」を書かなかったわけではない。

文章のプロとして、短編を得意にするということの実力は、長編にこそ発揮されてしかるべきだろう。
短編がギュッと詰まった「サプリメント」のようなものだとすれば、長編とはコース料理のようなものだ。

そこで、「実話」を基にした、強烈な(政府)批判精神で貫かれているのが、『人民は弱し 官吏は強し』なのである。
「官僚」とせずに「官吏」としたのも、強い反発心からだろう。
むかしは、事務員のことを「吏員」と呼んでいた。

実父の人生をどうやったら小説にできるのか?
なにせ、子である作者は若き時代にまだ生を得てはいない。
すると、よほど言い聞かせられたか、質問攻めにしたか、あるいは両方だ。
でも、言い聞かせられたから質問攻めにしたのだろう。

それに、実父である本人も、かなり言い聞かせることに執心したにちがいない。
これは、読めば分かる「性質」である。

わが国の「偉人」で、アメリカに渡った瞬間からの「受難」はひとつのパターンとなっている。
実父は、到着早々に在留邦人に欺されて「所持金のすべてを巻き上げられてしまった」とある。

密航をくわだてた少年高橋是清は、横浜を出て数日後に潜入した船内でみつかってそのまま渡米を果たすものの、船長の「奴隷」にされて到着するなり農場主へ「売却」されてしまっている。
奴隷から総理大臣になるひとの一代記は痛快だ。

 

それで、働きながら「苦学」する共通もある。
この点で、国家から留学派遣されたひとたちとは、「苦学」の意味が異なっている。

また、星の実父「一(はじめ)」は、コロンビア大学への入学にあたって、「授業料として必要な年百五十ドルがかせぎ出せない。その際は、講義を聞くのは半分だけにするから授業料を半分にまけてくれ、との案を持ち込んで交渉し、学校側を承知させた」。

「大学の自治」とは、こういうことをいうのだ。
すっかり文部科学省の「軍門に降った」わが国の大学では、あり得ないエピソードになってしまった。
アメリカの大学は、いまだに「連邦教育省」から「独立」している。

だから、いまの時代だって、一氏とおなじ主張をしたら、認められる可能性はある。
ただし、「奨学金」という名の「高利な学生ローン」を借りろといわれる可能性もある。

それに、国家から補助金をもらわないから、授業料がべらぼうに高い。
一氏の「年間百五十ドル」だって、今にしたら数百万円になる。
これが、「格差」を生むという批判が絶えない。
アメリカには存在しない国立系の大学に匹敵するのが、軍の幹部養成学校たる「士官学校」などで、成績優秀者が集まる理由にもなっている。

大学紛争の時代、例えば、東大安田講堂事件とかで、大学当局が警察を呼び込んで鎮圧したのを、「大学の自治を侵害した」ということに「矮小化」することに成功したけど、これをたくらんだのも東京大学の卒業生たる官吏たちの仕業である。

わが国でいう「大学の自治」とは、アメリカやヨーロッパに比べたら、「ごっこ」にすぎない。

そういえば、「未解決事件」の典型とされた、「三億円事件」も、犯人はとっくにわかって(死亡)いたけど、これを隠して、あらゆる「捜査」に活用されたのと似ている。
すなわち「問題のすり替え」だ。

これが、官吏たちの「基本的な手口」なのである。

もちろん、アメリカやヨーロッパが「進んでいる」という単純なことではなくて、むしろ「未開」で「野蛮」であったがゆえにできた「自治」の考えであって、それから生まれた制度だ、という歴史的経緯があってのことである。

その意味では、「学問所」なり「藩校」が盛んに設立された一方で、「寺子屋」も常識だったわが国の事情とはぜんぜんちがう。

ところが、一氏は若くして渡米し、在学中に新聞社を設立・経営し、それから大学も出て(修士)、帰国時(1905年)には新聞社を譲渡しているほどに、アメリカナイズされていた。
これが、「仇」となったのである。

わが国で近代資本主義が導入されたのは、当然に明治期ではあるけれど、上げ潮でドンドン上っ調子だったのは、明治中期までだった。
日露戦争での(政府の)戦費負担は、その後の(政府による)「経済統制」へと進むのである。

一氏の人生は、この時期に「当たってしまった」のだ。

明治政府も江戸幕府を倒した後にできたから、急場作りであったし、官僚機構も未熟であった。
この「政府機能の未熟さ」が、「自由経済」と結合して、最初の「東洋の奇跡」という化学反応になったのである。

外国と戦争ができるまでになったのは軍の充実だったけど、一方で、官僚機構の充実もあったからである。
高橋是清が欧州で「戦費を起債できた」のは、留学時代に構築した「人脈」が可能にさせた。

第二次世界大戦の戦後の奇跡も、官僚機構の弱体があってのことで、田中角栄内閣時代に、「政府機構の完成」を見る。
ここから、わが国の転落は用意されてもいた。

星一氏の「一代記」は、今を書いているのである。

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