映画「フジコ・ヘミングの時間」

1999年の2月だったというから,もう19年前.

すでにテレビの凋落は始まっていた.
時間つぶしにしても観たい番組がなくて,なにげなく教育テレビにしたら,老婆が電車を背景に歩いているシーンが流れてきた.
それが,伝説のドキュメンタリーになる「フジコ ~あるピアニストの軌跡~」の冒頭だった.

しばらくすると自然に口が開いた.
「なんだこれ!」
家内と目が合った.
すさまじい個性が産む感性の音楽に衝撃を受けた.

それから,テレビの音楽放送でたまげたのは,2002年のN響の年末恒例第九演奏会だった.
こちらは若き大野和士の指揮.
まだわが家のテレビは,ブラウン管でモノラルスピーカーだった.
たまに会場へ足を運んだが,NHKホールの音響の悪さにたいがいはガッカリしたものだ.

ところが,そんな機材をものともせずに,圧倒的な演奏がやってきた.
「こんな第九があったのか」「今年は『生』で聴くべきだった」とおもった.
そして,これを『生』で聴いているひとたちが羨ましくもあった.
「大野和士」覚えておこう,と.ビデオに録画もせずにいたのは,いまだに残念だ.

フジコのリサイタルには二度ほど行った.
どちらも,演奏は期待通りだった.
しかし,どちらも聴衆の拍手が早い.早すぎるのだ.
「余韻」を聴きたいのにそれがかなわなかったのは,フジコのせいではないと思いたい.

「自分の拍手」をいち早くフジコに聴かせたいとかんがえる,自己主張のかたまりが何人か会場にいるようだ.
このひとたちが本当に,フジコの演奏から「感性」を受けとめているのか疑問である.
それができるなら,拍手を忘れるぐらい陶酔感にひたるはずだ.

残音二秒.
これが,理想的な音楽ホールだといわれている.だから,二秒後の拍手こそが演奏を完璧にする.
横浜には,神奈川県立音楽堂がある.
建て替えばなしが何回もあるが,建て替わらないのは,いまが完璧な残音二秒だからだという.

ハイテクを駆使して,残音二秒を達成したのは東京のサントリーホールだ.
ローテクの時代にこれをやってのけた神奈川県立音楽堂は,その意味で名建築なのだ.
しかも,「音楽堂」という目的合理性において,最高傑作のひとつだ.

取り壊したところで,ハイテクを駆使しても,いまの響きよりいいものができるとはかぎらない.
それで,建て替えでなく補修がおこなわれている.
役人仕事のなかで,数少ない評価にあたいする判断だ.

フジコという演奏家も,ローテク時代の申し子なのではないかとおもった.
彼女は,演奏家として致命的な聴力がうしなわれている.
それが原因で,カラヤンやバーンスタインから直接の推薦をうけながら,演奏家として埋没したのだ.
この間,演奏の世界の価値観は,「テクニック」こそが最高の価値観になっていた.

機械のように完璧な演奏.
それは,作曲者たちが追求したものだったのか?と問えば,じつはあやしい.
もう三十年以上も前に,「ゆらぎ」の研究がさまざまな結論を導いていた.
目でみる絵画も,音を聞く音楽も,「1/F」という関数で最高を示すことができる.

人間は,つねに「ゆらいでいる」から,「ゆらぎ」のあるものごとを好むのだという.
だから,幾何学的に正確な直線の連続では,けっして心地よさを感じることはできない.むしろ,違和感すら感じるのが人間なのだ.

映画中,フジコの父のはなしがある.スエーデン人の父は,画家でもありデザイナーでもあった.
フジコが有名になって,父が描いたポスターが発見されたというから,それを観に行くシーンである.
じつは,演奏家として売れない時代,フジコは絵を描いていた.父のDNAがそうさせたのだろう.フジコの絵は,少女が描くようなメルヘンにあふれている.

記憶もあいまいなまま独りスエーデンに帰国し,一家を見捨てた父の作品は,斬新でいまでも通じるものがあるが,それはなんと「直線」で構成されていた.
ジッと見つめるフジコ.そして、唐突に「もう帰ろう」と言う.
おそらく,自分とはまるでちがうものを観,とうとう父との決別ができたのだろう.

フジコの演奏には,絶妙な「ゆらぎ」がある.
10本の指が鍵盤を押す.
その押す力とタイミングに,機械ではできないゆらぎが産まれるから,これにひとは感動する.
テクニックの有無よりも,そちらを重視する聴衆の勝利で,あろうことか専門家の敗北をうんだ.

専門家が専門的にフジコを批判すればするほど,聴衆である大衆はこれに反発する.
オルテガ健在なり.
専門家に大衆は尊敬も物怖じもしなくなった.
その象徴が「フジコ」なのだろう.だから,フジコ本人と「フジコ」は別人なのである.

映画では,ワールドツアーの様子がある.
愛用のピアノを持ち歩けないピアニストは,会場ごとに別のピアノに向き合うことになる.
そのピアノの状態が,演奏に影響するのはいわれてみれば当然である.
さらに,オーケストラとの共演ともなれば,聴力がないフジコには絶対不利な状況がやってくる.

ベートーベンが「皇帝」の初演に失敗し,それから生前に一度も演奏しなかったのは,おなじ理由だ.
ただ,彼は作曲家で,フジコは演奏家なのだ.それで,かつてフジコがオーケストラとの共演したCDは,素晴らしいとは言いがたい出来になっている.
フジコがどうやっていま,これを解決しているのか.指揮者の合図がそれを支えていた.

最後に,十八番の「カンパネッラ」が演奏された.
それは,19年前よりも確実に,ミスタッチまでもが腕を上げた演奏に聞こえた.
80歳をこえるフジコは進化していた.

フジコの演奏会だけのライブ映画があっていい.
これを,いい旅館のロビーでウィスキーでも舐めながら鑑賞したいとおもった.

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