景気は循環するものか?

経済生活をしているうえで、「景気」について、いまいいのか?わるいのか?が、挨拶代わりだった時代があった。

とくに、「天下の台所」だった大阪は、商人(あきんど)の街だった、というよりも、日本経済の中心地で、政治の中心地、江戸と、京の権威の中心とで、「三都」をなしていた。

なにも「藩」だけではなく、用途的にも分散型社会だったのである。

そんな大阪の典型的な挨拶は、
A「まいど、儲かってまっか?」
B「ぼちぼちでんな」
であった。

これを、無粋にも標準語訳すると、
A「どうもお世話になっています。ご商売の方はいかがですか?」
B「ええ、お陰様でそこそこで暮らしていますよ」
となる。

そもそも、「景気」の気は、気分の「気」だから、心理的な言葉であって、人間の経済社会は集団心理に左右されることの本質をついている。

この意味で、英国発祥の古典派以降の「経済学」は、今に至るまで、「心理」を無視した状態にあるのが、「つかえない」ことの重要な理由になっているのである。
それゆえに、先進企業では、社会心理学やらの学位をもったひとたちが、マーケティング分析をして、かつ、自社の販売戦略を練っているのである。

この意味で、むかしいわれていた、「とりあえず経済学を専攻しておけば、つぶし(おそらく、「応用」のこと)が効く」というのは、ウソであった。
むしろ、人々の心理を無視した、無機質な結果データだけで、「景気循環」なぞというテキトーを擦り込まれてしまうのである。

もちろん、景気はよくもなり悪くもなる。
それを肌で感じたから、商都であった大阪商人の挨拶にもなったのである。

しかし、大阪経済の衰退は、高度経済成長時代には深刻化していて、かつては、大蔵大臣が就任したらすぐさま大阪経済人に挨拶におもむいて、経済政策の本音の要望をインタビューしたものだったが、もう半世紀も、どの大臣もそんなことはしなくなったのである。

新幹線がなかった時代は夜行でも大阪に行って、新幹線ができたらだれもいかない。

しかしながら、これは大阪とか関西経済が衰退した「だけ」が理由か?と問えば、GHQが仕掛けた、社会主義中央集権体制(計画経済体制)の構築と完成時期とに一致していないか?とうたがうのである。

ようは、政都、東京を中心にした、政府主導(日銀も政府に従っていた)の介入こそが、経済政策になった、ということだ。
これぞ、「ソ連型」なのである。

だから、70年代のおわりから、80年代のはじめに、「日本は世界でもっとも成功した共産主義国」と指摘があったのは、正しいものだったけれど、国民がこの指摘を「そんなバカな」といって相手にしなかった。

日本は自由経済圏(西側)だと、だれもうたがわなかったからである。

これが、「とりあえず経済学を専攻しておけば、つぶしが効く」ということの結果なのである。
いわば、猫も杓子も経済学部に、「とりあえず」はいって、まじめな学生ほど洗脳され、あくまでも「とりあえず」を貫いた学生は、テキトーな企業に就職してからまじめに働いたのである。

そんなわけで、経済循環も、政府依存になった。

政府がなにかをしないと、景気が悪くなる、という意味の国民心理になったのである。
だから、景気後退は許されべからずもの、になって、どんどんと予算がついた。

こうして、政府の予算がつけばつくほど、大阪や関西経済が衰退したことに、関西経済人たちが気づかなかったばかりか、もっともっとと要求して自爆したのである。
しかし、こうした「毒」が、中央集権制だから、わが国の津々浦々まで蔓延して、日本経済全体が衰退することになった。

この流れから、かんがえてみれば、バブルをどうして崩壊させたのか?という問題が立ちはだかるのである。

昭和の終わり、平成のはじめのバブル経済とは、空前の好景気だったのだ。

しかして、あの好景気の中身は、潤沢な資金が生産性向上のために投資されるべき「拡大総生産」にではなくて、生産性の向上とは無縁の、「土地投機」と「株式投機」にだけ回ったのである。

だからけしからん、というのではなくて、ちゃんとしたメカニズムを国民におしえないといけないのに、いまだに政府はシラを切っていることが、けしからんのである。

つまり、計画経済体制になっていたことを思い出せば、「官製バブル」だったのである。
それを見事に崩壊させたのも、日本政府の政策だった。

なんと、マッチポンプなのである。

だから、崩壊すべく崩壊した、というのもウソである。
崩壊させたかったから、崩壊したのだ。

けれども、バブル崩壊だけが、その後30年以上にわたる衰退の原因になるのか?

どさくさに紛れて当時のアメリカFRBが仕掛けて実行されたのが、「BIS規制」だったのである。

これで、わが国の銀行経営が立ち行かなくなって、東京を世界の金融中心にするという計画も水泡に帰したのだった。

しかし、順番は逆で、東京を世界の金融中心にするという日本政府の計画を潰すために、FRBが動いたのである。
その証拠は、ボルカー議長(当時)の発言に残っている。

でもそれよりずっと前、つまり、バブル経済になる前の、「プラザ合意」こそ、彼らの日本経済潰しのための長期シナリオの開始スイッチであった。

つくられた、強い円が、世界の経済人に脅威となるように仕向けたのである。

ここに、景気循環なんてだれもかんがえていないことに気づくであろう。

あのケインズは、あの『雇用、利子及び貨幣の一般理論』で、サラッと以下のことを書いている。
「誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。(岩波文庫、下巻、P.194)

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