未完の妙

世の中には「未完」がたくさんある.
あの「未完成交響曲」も,もしかしたら「未完」ゆえの「名曲」なのかもしれない.
無限の可能性すら秘めているのが「未完」である.
これは,うらがえせば「完成させたい」という欲求があるからだ.

ということは,先に「完成」のイメージがある.
そのイメージが受け手によってさまざまに想像できるほどの出来映えだから,「未完」といっても価値があるのだろう.
建築では,ガウディのサグラダファミリア教会がそれだ.

1882年に着工され,完成に300年はかかるとされてきた.
しかし,音楽では「絶筆」ゆえに「未完成」となるが,建築には「設計図」がある.
だから,工事をつづければ「いつかは完成する」.
その間は,「未完成」の建造物を「見学」しているのだ.

あまりに壮大な設計ゆえに,この建物完成には数世代もの時間がかかるから,現代の我々は完成をみることはないと思われた.ここに,ある種のロマンがあった.
しかし,報道によれば,最新の3D技術の投入で,あと十年もすれば「完成」するというから,奇妙な気分になる.

人間の一生はみじかい.
それを,宗教建造物が形にしてしめしていたから,「完成が望まれない」こともある.
現代技術の,なんと無粋なことか.

その人間を,「合理的な行動しかしない」という条件で構築されたのが「現代経済学」であった.
しかし,あんがい「合理的でない行動」を望むことがある.
あるいは,自分のなかのえも知れぬものによって突き動かされることがある.
そのとき,ひとは「損得勘定」をしてはいない.それは,ビジネスの場面であってもいえる.

人様に役立つことはなにか?
これをかんがえることが,ビジネスの成功のタネである.
そして,これをやりきると,人様から尊敬をえることになる.
そうしたひとが,人生の成功者である.

宿泊目的が「絵を描く」というひとを集めれば,「絵画の宿」になる.
ササッとスケッチを描き上げる腕前があって,それをじっくりあとで「作品」にできるひとは,たいしたものだ.
ある場所が気に入れば,そこに住んで絵に没頭する.これができるひとは,ふつうのひとではない.

だから、おおくのひと,という「マーケット」をかんがえると,未完の作品を預かるという「サービス」があってもいい.
風光明媚な場所は,たいがい不便なところだから,そこに「画材店」があってもいい.
それで,土産物をあつかう宿の売店をやめて,画材店にかえた.
店員に知識がないとこまるから,県庁所在地の画材店に研修を依頼した.

近所に画家はいないかとしらべたら,やっぱり住んでいる.
絵画目的の宿泊客に「教室」講師を恐る恐る依頼したら,一つ返事だった.
広めの部屋を,アトリエに改装しようと計画したが,そこにリーマンショックという「大津波」がやってきた.

結局,意図せざる事態にあがなえず,あえなくオーナーチェンジとなりはてて,「未完」のまま,低価格が信条の新オーナーへと引き渡された.
いまでは,「未完」どころか影かたちもなく「お得感」だけの宿になったろう.
「苦い」思い出である.

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