江の島神社の初詣

日本の「モン・サン・ミシェル」といえば、やっぱり「江の島」である。
「近所」なのに、何年ぶりか忘れるほどの来島である。

どちらが、「ご本家」なのかは議論してもせんないけれど、どちらも「祈りの島」になっている共通がある。
ただし、「伝わるところ」によれば、江の島神社の方が150年ほど早い。

モン・サン・ミシェルが、見た目で「江の島」のようになったのは、陸地からの道路を作ったら、潮の流れが変わって、島周辺に「砂」が溜まってしまったからであった。
それで、2009年にこの道路を撤去して、あらたに橋がかけられた。

江の島は、これとは別に、境川河口の形状によって砂州が変化するということと、関東大震災の地震による「隆起」もあって、今のようになったという。
でも、その形状を変えたのは、陸地側の「片瀬漁港」の整備による堤防の設置だろう。

わたしが子供のころ、境川の河口は海に突き出した堤防もなく、もっと奥にあって、片瀬西浜の海水浴場から江の島大橋の柱まで泳いでいったもので、猛者達は橋をくぐって鎌倉側の東浜まで往復していた。
いまは、途中から歩いて橋まで行けるほど砂が溜まってしまった。

それでか、砂の撤去のための「浚渫(しゅんせつ)作業」が行われていて、橋のたもとには大きな砂山ができていた。
すると、フランス人がやった「撤去」をせずに、ちまちまとムダな抵抗をしているようにも見える。

おそらく素人目にも、片瀬漁港の堤防を撤去しないと、なんにもならないだろうに、と。
ならば、片瀬漁港はどうなるのか?という話になるけど、何人の漁師がいて、後継者はどうなのか?ということもちゃんと議論すべきだろう。

これを、「しない」、「できない」のは、とっくに「利権」となっているからだ。
目と鼻の先に「腰越漁港」があるけれど、そことの統合なんて、「ダメヨ、ダメダメ」としか話題になっていないかもしれない。

その腰越漁港も、なんだか昔より堤防が海に突き出しているように見えたのは「錯覚」なのか?

そんなわけで、またまた「持続可能」なる「用語」の、まったく信用できないご都合主義の「用法」をイメージしながら、大船から乗ったバスが、渋滞で動かない中の景色を見ていた。

焦点を手前の江の島大橋歩道橋にやれば、蟻の行列のような状態であまたの人間が歩いていて、浮世絵の江島弁天参拝図とそっくりだ。
あと数分後には、自分もこの中のひとになるわけだから、心の準備をすることになる。

正月は、八幡宮がある鎌倉中心部は交通規制が厳しく、マイカーは通行できない。
それに、2日と3日は、国道1号線を封鎖する箱根駅伝の「余波」から、海岸通りの混雑は毎年のことだろう。

だから、用事がないのにこの辺にマイカーで来ることのムダは推して知るべしなのだけど、どういうわけかそれが毎度の混雑となる。
江の島は、島だから、当然に行き止まりなので、駐車場の容量がいっぱいになれば、それ以上は「出る量」とおなじ量しか入れないという道理がある。

それでもって、大渋滞になるのは、いったいどんな用事があって島内に自動車を進めるのか?
ナンバーを眺めると、けっこう「湘南」と書いてあるのが、一層の不思議感を醸し出すのである。

「湘南」のひとは、そんなに江の島が珍しいのか?

しかし、湘南地方と自動車ナンバープレートの湘南にはズレがある。
これがまた、役所による密かな「文化破壊」の証拠なのである。
湘南地方に永く住む当事者達に言うと、最初は笑うけどどこがちがうのかと聞けば、かならず「納得」するものだ。

そして、この「勘違い」の方が「本当」になることの「恐ろしさ」に気づくのである。

このことは、美濃部亮吉という、父の「威」を借る狐がやった、郵便番号導入時の「町名変更」という文化革命とおなじなのだ。
「江戸八百八町」は、郵便番号で破壊されたのではなくて、都知事によって破壊され、忘れ去られることになったのである。

そして、郵便番号が、3ケタから7ケタになるときに、復活させなかったから、とうとう「東神田」とか「東日本橋」なる、奇妙きてれつな町名が「ふつう」になってしまった。

さて、江の島神社の初詣は、三宮あるけど一番近い「辺津宮(へつみや)」で大半が折り返し、その先の「中津宮(なかつみや)」、さらに、「奥津宮(おくつみや)」の全部をお詣りするひとがどれほどの割合か?

北鎌倉の駅前、といっても境内に駅が出来た円覚寺には、国宝の洪鐘(おおがね)横に弁天堂があって、江の島の弁天様と「提携」しているとある。
しかしながら、頼朝からはじまる「日本三大弁天」の江の島神社の弁天様は、明治の神仏分離・廃仏毀釈で、「改めて」弁財天を祀ったことになっている。

島にあった「仏」とは、京都仁和寺の末寺、岩本院のことで、この寺院が神社を管理していたのである。
その江の島に鹿児島の最福寺(1989年(平成元年)創設)から、「関東別院」として、1993年(平成5年)に創建された「江の島大師」がある。

古代からと現代とが交わった、祈りの島なのであった。

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