病気になったら麦を食え

新聞記者のことを、「聞屋(ぶんや)」といって、あんまり感心しない職業人のイメージを庶民がもっていた時代は、いまよりもずっと健全だった。
「新聞屋」から「新」を略したところも、なかなかの意味深である。
ようは、人づてに聞いてきたことを文章にしてこれを「売る」から、「売文」稼業のことをいった。

これじゃあ格好が悪いので、テレビが『事件記者』という宣伝ドラマをつくって、「鉄は国家なり」とか「造船大国」の時代の、就職先にあぶれた学生を新聞社が胸を張って募集するきっかけにした。

なんだか高級な仕事にしたいから、記者になるとハイヤーで移動するのは、いまでもやっている。
社内で既得権化して、タクシーを使えともいえず、ましてや地下鉄をや。
新聞社の経営が傾いても、既得権はそのままに、他者(社)の既得権を批判するから、やっぱり「聞屋」なのである。

「貧乏人は麦を食え」

この「傑作」ともいえる新聞見出しの作文は、ときの大蔵大臣、のちの総理大臣となった池田勇人の発言を、みごとに切り取って造語した、まったく褒めてはいけないものが、独り歩きして有名なフレーズになって残っている。
池田はこんなことを言ってはいない。

このときの発言では、むしろ、自由主義経済を原則に経済発展させたいという文脈(まさに「新自由主義」の主張)こそが重要なのに、ぜんぜん伝わらない「罪」があるけど、だれもこれを「罰」っしないことが問題なのだ。
今日までの戦後政治家で、池田しか経済発展の基本を理解した者はいない。

ただし、池田の「所得倍増計画」は、総じて「ケインズ主義」となってしまって、本来のハイエク的思想が溶解してしまった。
これが、平成不況を通じていまのコロナ禍経済政策にもなっている。
まさに、わが国はケインズに殺されようとしているのである。

ケインズの経済政策は、国家が投資して経済をけん引する仕組みだから、じつは「社会主義に含まれる」のだ。
ケインズ自身、「不況時だけに使え」といった理論なのだけれども、いったんやったら止まらないのが役所の行動原理なのである。

さて、「麦」と言っても小麦ではなく「大麦」である。
スーパーの米コーナーに行けば、「もち麦」とか、「押麦」を売っている。レンジでチンすれば、すぐに食べられるパック入りの商品にも、「もち麦」や「大麦」を打ち出した商品が売れていて、ときに欠品すら見かける。

健康ブームといわれて何年経つか忘れたけれど、もはや「ブーム」ではなくて「生活常識」のひとつになった。
放送大学の科目にある「食と健康」のテキストには、冒頭、「野菜を食べたら健康にいい」という程度の知識を大学で学ぶのではない」とあって、そもそも「消化」とは何かから授業がはじまる。

いわれてみればその通りで、人間(生物)の体は、化学工場であるから、食材の栄養を分子レベルで吸収している。なので、分子をつくる原子の構造から授業はスタートする。
中学校の理科や高校の化学でやることを、放送大学は丁寧に復習することからやるのだ。

いまはふつうに「高校」というけれど、本来は「高等学校」だから「高等」なのである。けれども、「高等」なことがふつうになったので、なんだか大したことはないように思うのも人間だ。

だからといって、社会が高等になるものでもないのは、コロナ禍のマスク着用義務や自粛警察がそれを表している。
このひとたちはよほど、高等学校の化学など理系の科目をサボったか、教師の教え方が下手であったことの犠牲者なのだろうと思える。

ぜんぜん科学的でないし、むしろ科学を無視してただ情緒的に行動するからである。
たとえば、量り売りの酒類を扱うスーパーの店員は、ボトルにさした漏斗を浮かせて空気抜きをしないから、ゴボゴボこぼれて苦慮してしまう、とか。

外食や旅館の利用が激減して、経営者の悩みは尽きないけれど、資金が尽きたらおしまいである。
ならば、これまで以上に目的地として選ばれるかは、これまで以上に死活問題なのである。

上述のように、スーパーで売り切れ・欠品続出の「麦」とはなにか?
経験的にあるいは検診結果で、健康にいいことが「はっきりわかった」ひとたちがたくさんいる、ということである。
なのに、街の食堂や宿でこれを「提供しない」のは何故か?

江戸時代までの日本人で、糖尿病を発症するのは為政者しかいなかった。
平安時代の全盛期、藤原道長の病状も記録にある。
けれども、いわゆる一般人たちは、麦入りの米なら「上等」、半々なら「中等」、それ以上麦なら「下等」、米なしで他の雑穀混合なら「等外」という等級づけで、何等がいちばん多かったのか?

白米100%ということはほとんどないからこれは、上等の上をいく等外である。
人口の8割がいた、農家は「下等」かその下の「等外」が常識だった。
米を作っても、作り手はこれを自家消費したりはしない。残すのは、来年の種籾だけがふつうであった。

池田の発言は、1950年12月7日の参議院予算委員会でのもので、日本人が歴史上はじめて皆で米を食べ出して、米価が高騰していた時代背景がある。

「麦食」に先祖帰りすると、わたしたちのDNAが良き反応をするようになっている。

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