社会改造に成功して80~年♬

端的にいえば、「近衛新体制」のことである。
この体制がいまも継続しているために、「13日は奴隷解放にならなかった」のである。

どういうわけか?学校の教科書では、陸軍青年将校たちが起こした、「2.26事件(昭和11年、1936年)」をもって、「ファスズム化」したということになっている。
その前の、海軍青年将校たちが起こした、「5.15事件(昭和7年、1932年)」は、どういうわけか除外されている。

「2.26」の後始末でもって、軍部にあった3派閥(皇道派、統制派、ノンポリ)のうち、皇道派が壊滅して、多数のノンポリが少数の統制派(左翼全体主義*赤い軍隊)に支配されることとなる。

最前線の指揮官たる将校たちや、特攻兵の多くはノンポリで、統制派は戦後のことをかんがえて、「銃後」にいて、ノンポリの数を意図的に減らしたのである。
そうやって、戦後、統制派に都合のいい、「戦史」が作られた。

この構造には、「幼年学校」の存在があって、満13歳から満15歳までの子供時分から、「将官」になるべくエリート教育されたひとたちの「同窓会」の存在があった。
一般校から、士官学校を経て選抜されて陸軍大学や海軍大学にすすむのが「エリートではない」のである。

旧軍人の略歴に、あんがいと「幼年学校卒」の記述が、ほんとうに「略」されていて、その凄さを隠匿しているから注意がいる。

それで、いわゆる「軍部」を形成したのが、事実上、幼年学校同窓会だったし、これらが真の「軍事官僚」だった。
高等文官試験を通った、高級官僚と、軍事官僚が手を握ったのが、「新体制」で、その中心人物が、「五摂家筆頭」の近衛文麿公爵だったのである。

彼らが日本改造計画を練ったのが、「昭和研究会」だった。

当然ながら、思想的に親和性がある、ヒトラーのナチスとスターリンのソ連共産党の政策を研究した。
「ファシズム」の語源になった、ムッソリーニのファシスト党も当然に含まれる。

わかりやすい具体例が、昭和16年4月からの「国民学校」で、8年制としたものだった。
明治からの、尋常小学校と、尋常高等小学校は廃止された。
なぜに、「国民学校」と命名したかは、ヒトラーが作った、「Volksschule(Volks(フォルクス)が「国民・民族」、schule(シューレ)が「学校」)」だったからである。

ちなみに、「フォルクスワーゲン: Volkswagen」は、1937年(昭和12年)に、「ドイツ労働戦線(ナチスの労働組織で既存労組を排撃した)」によって設立された、「国民自動車」という名の会社だ。

あのテントウムシのような「ビートル」は、画家だったヒトラーのデザインを基にしている。
それで、戦後は、ニーダーザクセン州の公営企業になったのを、1960年に民営化されたが、実質オーナーのポルシェとの関係は長くなるので割愛する。

さてそれで、日本改造の趣旨とは、戦時経済体制の確立であって、その本質は、国家総動員体制であった。
総ての国民の生産活動(生活全部)を、軍事にいかに振り向けて、効率的な軍需生産に特化させることができるかが、喫緊の大問題であった。

この司令塔が、近衛文麿を中心に、「新体制」といった、官僚組織で、これに与する官僚を、「革新官僚」と呼んだのである。

このときの、「革新」とは、戦後でもいう、「革新」と同義の、左翼である。

国家総動員体制は、あんがいとつまみ食い的な説明がされて、体系的に教えてくれないのは、「戦後」も継続して今に至るから、戦争は悪だったとしたい戦後派に都合が悪いのである。

国民生活の最末端には、「五人組:隣組」があった。
これで、互いが互いを監視するシステムを完成させて、「貯蓄」を奨励した。
軍需とは、基本的に、「消耗品」の生産だから、その財源を国民資産に求めたのであった。

このときに擦り込まれたのが、消費を我慢してでも、「貯蓄」を優先すること、であった。

国民貯蓄を原資とした大生産体制が、ケインズのいう、「有効需要」を喚起して、わが国は戦時中に実質25%も経済成長しているのである。
このことが、当時の人々が戦争遂行を支持した理由なのである。

当然ながら、管理・指令する官僚(役所)からしたら、窓口は少ない方がいい。
それが、大企業のグループ化(財閥優遇)となったし、業界団体による、「自主管理」だった。
労働力の分散もマイナスになるから、企業一家として企業内組合制を奨励したのだ。

当時最大の産業だった、農業では、大地主と農民の分断を促進して、大地主は農産物生産と切り離されただけでなく、安い地代だけの収入に転落させた。
GHQによる、「農地解放」は、その「仕上げ」に過ぎなかったので、すぐさま効力が発揮されたのである。

これで、水呑百姓も、「先祖代々の耕作地」と、堂々といえるようになったけど、農村の歴史をしるものには。そのことの本質が語り継がれているから、いまでも農村には「むかしの風習」がたくさんあって、新規移住民には理解できないトラブルになる原因なのだ。

しかして、なんと、敗戦後のGHQによる日本支配は、より総動員体制を強固にした。

冷戦による日本の役割に気づいたGHQと、戦後復興という名目での戦時経済体制を維持することが、経済官僚支配の完成となるからだ。

敗戦は、軍事官僚と、内務官僚を自動的に排除して、経済官僚たちの天下になったのである。
もちろん、戦前には発言の重みがあった、外務官僚も御殿女中のごときになった。
なお、国民監視を担当した内務官僚は、その職場を文部省に移したのである。

そんなわけで、わが国の経済体制は、戦前から軍需消耗品の生産に特化していたし、その産業管理方針(品質管理も含む)が、「儲けてはいけない」と発想する赤い役人によったから、日本企業の行動原理は、「シェア」になって、「採算を度外視する」順番にさせられた。

これがいま、わが国が、「SDGs」を世界でもっとも推進していることの、原因であり結果なのだ。

10日に破綻した、「シリコンバレー銀行」は、預金の運用で、「ESG投資」に特化していた。
「ESG投資」とは、「SDGs」への投資のことだ。

欧米人は、とにかく「利益」をゴールだとする価値観のひとたちで、「シェア」を最優先にはさせない。

この銀行の破綻が意味するものは、「SDGs」に投資してもぜんぜん儲からない、という大問題を欧米左翼に突きつけたのである。

しかし、世界の左翼の皆さんは、利益よりもシェアを優先させる、戦時経済体制のままにある、特異体質の日本が希望の星なのだと認識したにちがいない。

日本の衰退が止まらない、日本人には悲劇的な状態が、国家総動員体制になって80年たっても、終われないのである。

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