13日は奴隷解放にならなかった

2023年3月13日は、ひとつの「記念日」になった。
奴隷「未」解放記念日として後世に伝わる。

「日本人は、まじめだからみんなマスクを着けている」と、確定申告を提出すべく並んだ地元税務署で背後からの声が聞こえたので振り向いたら、そのひとは「鼻出し」マスクをしていた。
しかし、その発言は間違いだ。

政府がいう、「自由化」もおかしいのは、最初からマスク着用は強制されたものではない。

しかしながら、あたかも、強制されているように仕向けたので、その犯人たる政府を代表して現職首相が、「自由化」を言い出したのである。

しかも、税務署の入口ガラス扉には、「3月13日以降もマスクの着用をお願いします」との注意書きが大書して掲示してあった。

税務署は財務省の直轄である。

とうとうわが国の行政は、首相の指示を現場で正々堂々と無視できるまで堕落した。
なんだか、荘園制が完全に崩れだした、室町時代末期を彷彿とさせるのは、栄華の後の没落とも似ている。

これはこれで、「いい意味」で、古い統制の時代が終わったともいえるのだが、一方で、あたらしい統制と強制の時代がはじまった。

並んでいるひとたちの面々をみれば、一番の年長で「国民学校」世代だと思われる。
さすれば、昭和10年(1935年)生まれとして、ざっと今年88歳の米寿だ。
あとは、皆、戦後教育世代なのである。

征服にやってきた外国軍を、「占領軍」といったり、「進駐軍」といったりして、用語のごまかしがあったけど、正確には、「征服軍」だ。

正式国名だった、「大日本帝国」の国名までも変更させられたのは、帝国が「征服された」からである。
なお、「帝国」の定義には、「他民族国家」とか、「皇帝を擁する」とかがある。

後者だけで、わたしはこの国は「帝国」だと認識しているが、あろうことか左翼たちが、アイヌ新法やら沖縄で、「先住民族」という「別物」を発明した。

これに極左で革命的破壊を推進する菅義偉氏が乗っかって、「新法」となったのである。

菅氏が総務大臣のとき、「ふるさと納税制度」なる地方自治の破壊を税収面からやって、お膝元の横浜市は、市民税収入の流出が全国一になって、「カジノ誘致」にまで追いつめられた。
そんな菅氏を当選させ続ける、横浜市の選挙区(西区、南区、港南区)住民の低能は、それなりに突き抜けている。

ただし、神奈川県には、平塚・茅ヶ崎に河野太郎がいるし、横須賀には小泉進次郎という、「大物」がなぜか君臨している。

さて、日本人共通の縄文人を先祖に持つのはおなじなのに、日本を多民族国家にして、かえって「帝国」の定義にはまるよう仕立て上げたのを何だとおもっているのだろうか?

「大日本帝国」といえば、狂わんばかりに抵抗するくせに、自ら帝国にしたいというダブルスタンダードが、やっぱり共産主義・全体主義者の低能なのである。

さて征服者のGHQは、すぐさま、わが国の「教育改革」に着手する。
それが、「墨塗りの教科書」で有名なエピソードとなる。

これは、1946年(昭和21年)1月6日に承認されたという、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム:WGIP:War Guilt Information Program)」によるとされているが、それでは、終戦直後に教科書を墨塗りにしたのと時系列があわない。

日本国憲法すら、ヤルタ会談(1945年2月)で話があったというから、「戦後」のことは、「戦争中」に計画されている。
なので、わが国の教育改革も、かなり早い段階から計画されたものだった。

ちなみに、「教育委員会」は、1947年(昭和22年)の、「地方自治法第180条8」によって定められ、日教組も同年に設立されている。
要は、GHQが定めた(主権回復は、1952年(昭和27年)4月28日)のである。

それで、本国アメリカの政権を握っていた、民主党は、わが国の完全解体を目論んだのだが、時を同じくして、ソ連との冷戦がはじまって、方針転換を余儀なくされる。
それが、同年の、「トルーマン・ドクトリン」の発表だった。

そんなわけで、わが国は、「戦時総動員体制」が維持されることになったのである。

これが、学校教育、特に小中学校の義務教育期間における、「集団主義」の維持であったのだ。
間接統治として「軍政」を敷かなかったマッカーサーの巧妙にして狡獪な日本統治は、軍政を敷くしかなった朝鮮の激烈とはちがった高度さで一見マイルドに実施されたのである。

ゆえに、日本政府は存続した。
つまり、ポツダム宣言の通り、わが国は、軍隊が無条件降伏したけど、政府は降伏していない。
ただ、天皇を人質にとられることで、事実上の全面屈服を強いられ、天皇に代わってマッカーサーが「皇帝」として君臨したのだった。

トルーマンによって解任され、離日するマッカーサーを、わが国マスコミは、「ありがとう」といって別れを惜しむ、世界史的にも嘆かわしい奴隷状態をトップニュースとした。
しかも、連邦上院公聴会で戦争理由を問われたマッカーサーは、日本は自衛のためにわが国と戦った、と爆弾発言したが、政権を担う民主党とすでに宣伝機関のマスコミはこの模様を隠蔽した。

それで、このときの最後の発言、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」だけが、日本でも有名になったのである。
マッカーサーには、日本の征服者として自分がつくった制度で、自分の発言が封殺された哀れがある。

そんなわけで、江戸期の武士の機構とその朱子学による思想、および、明治期の白人列強からの独立維持を旨とする、「富国強兵」の生き残り戦略で、全国民が上(政府)からの命令に従う「軍事訓練」を、小中学校でたたき込まれる日本人には、ほとんどもう抵抗する発想が残っていない。

日本人の、自分でかんがえない、不真面目さの発露が、マスクを外せない行動になっているのである。

不遜ながら、わたしには、「羊の群れ」にしか見えないのであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください