終身雇用が崩壊するほんとうの意味

昨日の13日、日本自動車工業会の豊田章男会長が、「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」、「今の日本(の労働環境)を見ていると雇用をずっと続けている企業へのインセンティブがあまりない」という発言があったと日本経済新聞で報道された。

そして、「労働流動性の面ではまだまだ不利だが、派遣や中途入社など以前よりは会社を選ぶ選択の幅が広がった。多様化は進んでいるのですべての人がやりがいのある仕事に就けるチャンスは広がっている」とも発言したと同記事にはある。

例によって、前後のはなしが途切れているから、「文脈」がわからない。

あたかも、「インセンティブがない」ことにとらわれると、誰かからおカネが欲しいとかをいっているようにもとれるが、そんな「乞食」のようなことを、わが国をささえる自動車業界のトップがいうのだろうか?

むしろ、(地に落ちて存在意義をうしなった)「経団連の中西宏明会長も「企業からみると(従業員を)一生雇い続ける保証書を持っているわけではない」と語る」ということと、上記の発言をつなげることにこそ違和感がある。

豊田章男氏はいわずとしれたトヨタ自動車という世界トップの自動車会社の社長であって、そのトヨタ自動車にはいわずとしれた「トヨタ生産方式」がある。

業界の代表としての語り口と、トヨタ自動車という自社の社長としての語り口が異なるのはある意味当然だ。
それに対して、経団連の中西宏明会長は、何のことだかわからないことをいっているから、目も当てられない。

「(従業員を)一生雇い続ける保証書」などという世迷い言をはいて、上から目線に徹していることが、どうしようもないトンチンカンぶりである。

平均寿命が60歳にもなっていないときにできた「国民年金」が、じつは「定年制」をささえることの根拠になるが、定年自体は、日本独自の「雇用慣行」であって、法的規制はなかった。

「日本独自」とは、「ガラパゴス化」という意味だし、定年制をささえる土台の「年金制度」がゆらげば、そのうえの定年制は大揺れする。

それが、まず、「努力目標」として法に明記されたのが、1986年(昭和61年)の「高齢者雇用安定法」なのだ。
つまり、「たった」33年前のことで、その後2000年(平成12年)になって「65歳までの雇用確保措置を『努力義務化』」し、それが、「希望する労働者全員を65歳まで継続雇用することが『義務化』」したのは、なんと2013年(平成25年)、たかが5年前のことである。

しかも、最近の平均寿命は短い男性で81歳だから、ぜんぜん「一生雇い続ける意味の『終身』」なんてことはない。
とうとう経団連会長は、日本語ができないレベルでもつとまるようになったらしい。

「定年制」というのは、「年齢」という条件「だけ」で、雇用契約を終了するということだから、アメリカ人やイギリス人にはなじまない制度になっている。
彼らのかんがえる「労働市場」では、本人がもっている職業能力とそれを購入したい企業とのあいだで、価格が一致すれば、雇用契約は成立するからである。

しかし、一方で、アメリカなどでは「終身雇用制」を採用している優良企業がたくさんあるが、これは、日本の強みを研究した成果であった。
「定年」なき「終身雇用制」とは、雇用契約に支障がないかぎり、いつまでも働けるという意味だ。

だから、これまでとおなじ仕事内容をこれまでとおなじ能力で業務をおこなうなら、たとえ「雇用延長」されても「同一賃金」なのは当然なのだが、これを「年齢」という条件だけで「半減」できるのは、「労働市場」の原則からおおきくはずれている。

こうしたことができるのは、わが国独自の「生活給」という概念があるからである。
敗戦後の混乱期以来、独身の若者は安く、家庭をもって、子どもができて、家を買ってという、いまでいう「ライフサイクル」に適合した勤務年数がふえると賃金もふえるように、賃金体系をつくりかえたのだ。

高度成長期に、このつくりかえは完成して、安定的な雇用とセットになった。
その恩恵をうけた世代が、団塊の世代である。
だから、一億総中流社会が実現できたのである。

重要なのは、この賃金体系のポイントは、直線グラフを一本書いて、それに次のような曲線を描けばみえてくる。
つまり、弱年時は「安い」から直線の下に、それがだんだん高くなって直線の上にはみだして、高齢時にはまた「安く」なる。

結局、直線グラフとおなじ面積(生涯年収)になるように積分で「設計」されていた。
ところが、高度成長という条件がくわわって、高齢時に当初計画どおり「安く」ならなかったのだ。

それでも企業内官僚は、設計どおり、だといえたのは、経済成長にあわせた生涯年収グラフを描いていて、団塊世代が50代になっても、そのときのグラフ上では「安く」なっていたのだ。

そんなわけで、日本語があやしい経団連会長は、「生活給」が維持できないといいたかったにちがいない。
このひとは、「終身雇用制」と「生活給」のちがいがわからないのだ。

それは、世界経済の標準化で、日本独自の制度維持が困難になっているからだといえば、そのとおりである。
しかし、もっとも重要なのは、わが国に存在しない「労働市場」である。

これを、豊田章男氏が指摘したのだとかんがえる。
「トヨタ生産方式」で鍛えられたトヨタグループ社員の価値は高いから、いくらでも需要がある。
それで自社のことに言及せず、自動車工業会会長として、他社の人材教育に「喝」をいれたのだと。

売れる人材をつくる、これを放置して使い捨てしようとする経営者への「喝」と、じぶんを高く売るための努力をおこたる労働者への「喝」だろう。

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