きれいごとしか言ってはいけない

国会議員とは、究極の言論人である。
したがって、じぶんの言動にはくれぐれも注意がひつようだし、その言葉にたいする責任がある。

日本維新の会の丸山穂高衆院議員が、北方領土へのビザなし交流訪問に同行して「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」と元島民に発言したことが問題になった。

それで、本人は離党届を提出したが、松井一郎代表は「離党などで許される話ではない。党として、除名を含めて厳粛な処分をする」と述べたという。
そして、ほんとうに除名された。

例によって、現地での文脈は不明のままだが、記事から「問題」を整理すると、
・戦争で奪われた領土は戦争で取り戻すべきか?
・上記の論を、当事者に質問したのはなぜか?
・本人が「不適切だった」とした理由はなにか?
・松井代表が激怒している理由はなにか?
・その他大勢も「とんでもない」と非難しているのはなぜか?
であろうか。

なかでも、さいしょにある「戦争で奪われた領土は戦争で取り戻すべきか?」が、もっとも本質的な「問題」だろう。

かんたんにいえば、「そのとおりである」が世界の常識としてのこたえだから、ふつうは言葉にしない。
ひとは「常識」を言葉にしないのが「常識」だからだ。

たとえば、人類の排便方法の歴史が、なかなかたどれない理由である。
毎日のこととはいえ、その方法は、その時代の典型的な常識であるから、だれも記録などしないからだ。

しかし、かれは国会議員という言論人だから、言葉にしないと議論にならない。
むしろ、この「常識」が、あたかも「非常識」になってしまうことが、大問題なのである。

その根拠が、わが憲法であることは、このブログでなんども言及している。
日本人は、世界のなかで非常識なかんがえを常識とする、非常識な国民なのだ。

北方領土とは、千島列島につらなる島々のうち、北海道にちかい四島をいうことになっている。

ソ連やその継承国であるロシアとの「返還交渉」において、わが国が一貫して「四島」といっているのは、ほんとうは根拠がうすい。
それは、第二次世界大戦の終結がいつか?ということと密接に関係している。

わが国でいう「終戦の日」は、昭和20年(1945年)8月15日になっている。
これは、「終戦の詔勅」が発っせられた日で、この詔勅を天皇自ら録音し放送した「玉音放送」のことである。
それで、大本営は16日全軍にたいし「停戦命令」を発している。

しかし、国際法では、わが国と連合国とのあいだで取り交わされた「降伏文書」に署名した日の「9月2日」が戦争終結の日なのである。

それで、こまったことになるのは、そもそも締結していた「日ソ中立条約」(昭和16年、1941年)をソ連が一方的に廃棄して、わが国に宣戦布告して「ソ連参戦」となったことである。

もともとソ連は「連合国」だったから、どうして「中立条約」がなったのかはさらにややこしい。
どちらにせよ、ソ連が攻めてきたのは真実で、満州での悲劇的な日本人婦女に対する虐殺蛮行とシベリア抑留は、わすれてはならないことだ。

「北方領土」に目をやると、昭和20年2月ヤルタ会談での「ヤルタ協定」で、南樺太と千島列島をソ連の取り分とすることが当事者抜きで決まった。

それで、ポツダム宣言を受け入れるとした8月15日をすぎても、ソ連軍の侵攻はつづいて、翌16日には南樺太、28日から9月1日までに、択捉・国後・色丹島を占領してしまった。
残りの歯舞群島は、9月3日から5日で占領されたのだ。

だから、国際法的には歯舞諸島しか「不当」といえない状態にある。
ようは、9月2日までの「調印時間」が決定的な意味をもっている。

けだし、日本軍の軍規はかたく、停戦命令がわが方には発令されているから、一方的にやられるだけであった。
ふつうの国の軍隊なら、たとえ停戦命令があることをしっていても、敵が一方的に攻めてきたら、「正当防衛」の権利を発動して、これと対戦するのにだ。
もちろん、ヤルタの密約などとんでもないことにかわりはない。

「火事場泥棒」といわれるゆえんで、ソ連の欲望丸出しのやりかたは、歴史的不名誉な逸話だとして、世界に発信しなければならない。
が、ここで世界の常識、「戦争でとられた領土は、残念だが「次回まで」帰ってくることはない」がでてくるのだ。

そのわかりやすい例は、ドーテの短編小説『最後の授業』でしられる、「アルザス・ロレーヌ」=「エルザス・ロートリンゲン」をめぐるフランスとドイツの行ったり来たりである。

閑話休題。
卒業式や年末の日付が変わるとき、あるいは、商店の閉店時間をしらせる音楽といえば「蛍の光」である。
この曲は、文部省がさだめる「小学唱歌」だった。

いまでは一番しか歌われないが、四番まであって、とくに四番は、わが国の領土変遷とともに歌詞が変更されている。
オリジナルは「やしまの『そと』の」だったが、千島樺太交換条約と沖縄処分後に、「うち」になって、

ちしまのおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、つとめよわがせ、つゝがなく。

これが、日露戦争後、
たいわんのはても からふとも やしまのうちの まもりなり。
になっている。
戦前・戦中の小学生は敗戦まで、この歌詞で歌っていた。

子どものころ、紅白歌合戦を一緒にみていた明治36年生まれの祖母が、藤山一郎の指揮で「蛍の光」を出場した歌手全員で唱和するのに、「なんで一番しかうたわないんだろう?」といっていたのが思いだされる。
彼女も、昭和一桁のわたしの両親も、日露戦争後の歌詞で覚えていたはずだ。

そんなわけだから、千島樺太交換条約を基準にすれば、四島「だけ?」ということにもなるのは、国内事情としてのいきさつがある。
条約をかってに破棄して「宣戦布告」はないだろう、といってもそれが戦争だ。

プーチン氏は、一期目の大統領就任直後、「核保有国と非保有国に外交交渉はない」と演説し、「外交交渉が成立するのは核保有国どうしのばあいだけだ」と説明している。
それで、ドイツはアメリカから中距離核ミサイルをレンタルしたままかえさないでいる。

丸山議員の発言で、さっそくロシア側が不快感をあらわにしたのは、外交上当然のことで放置すればよいことだが、そのロシアを擁護する発言をしているタレントその他のひとたちは、いったいどっちを向いているのだろうか?

ましてや、わざわざロシア大使館にまでおもむいて、わびを入れる国会議員たちは、それがどれほどのトンチンカンな行動なのかさえもわからないのだから、まったく絶望的な気分にさせる。
外交オンチもここまでくると犯罪的である。

もっとも外交も喧嘩もまともにできない外務省のHPにおける「北方領土問題」をみれば、

「南樺太(=北緯50度以南)及び千島列島(=ウルップ島以北の島々)については、その領域主権を有していた日本は、1951年のサンフランシスコ平和条約により、すべての権利、権原及び請求権を放棄しました。サンフランシスコ平和条約上、南樺太及び千島列島の最終的な帰属は将来の国際的解決手段に委ねられることとなっており、それまでは、南樺太及び千島列島の最終的な帰属は未定であるというのが従来からの日本の一貫した立場です。」

そして、ちいさく「注」に「ソ連・ロシアは(講和条約)締約国ではない」と書くあたり、みごとな官庁文学に仕上がっている。

いまだに国際法上は「戦争状態です」と書かないから、わからない国民がいるのだ。

「将来の国際的解決手段に委ねられることになっており」という他人まかせの決意がここにもあって、拉致問題とおなじ構造になっている。
憲法前文の威力ここにありだ。

丸山穂高衆院議員は、いったいじぶんの発言のなにを「不適切」としたのかを、じっくりききたいものだ。
わたしには、旧島民に質問したことぐらいではないかとおもえる。

他のひとたちはなにがいけないというのか?
明解な説明をききたい。
きっと「言霊」をいうしかないだろう。

そんなひとたちが、議員辞職をもとめている。
まるで、斎藤隆夫が昭和15年(1940年)に「反軍演説」をして議会を除名されたのに似ている。
どちらも「とんでもない」ことではないか?

丸山議員には、イギリスで圧倒的支持になっている「ブレグジット党」のように、あたらしい党を立ち上げてほしいものだ。

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