継続困難の国民皆保険

健康だと損をする。

これが、「国民皆保険」の本質である。
医学の進歩なのか迎合なのか?
「保険適用」がどんどんされるから、やっぱり健康だと損をする。

うそみたいな不平等なのに、あたかも平等主義の理想郷だと信じて疑わないのが日本人だ。
それもこれも、会社に雇用される、という被雇用者に適用される「源泉徴収」という方式が、負担感をなくすブラックボックスになっているからだとおもわれる。

わかりやすい例として、「住民税」がある。
この税の徴収方法は二種類。
・普通徴収
・特別徴収

「普通」の方は、納めるひと本人が、自宅に送付されてくる「納税通知書」に基づいて自分で支払う方法をいう。
「特別」の方は、勤務する会社が毎月の給与から住民税を控除(天引き)して納める方法をいう。

「働くひと」という側からすると、圧倒的多数の「被雇用者」には、「特別」が、「被雇用者」よりすくない「個人事業主」には、「普通」が適用されるという、ことばの妙がある。

これは、「国家総動員法」によって源泉徴収制度ができる以前からの、「尾てい骨」のような、過去の常識の「遺跡」のようなことなのである。

つまり、その前の日本人は、住民税を「普通」のやり方で納付していた。
後からできた、源泉徴収制度が「特別」だったのである。
なぜなら、会社に雇用される、という被雇用者だって、みんな「確定申告」をしていたからである。

それに、工場に勤務する職人も二種類いて、むかしは「渡り職人」と「子飼い」といった。
日露戦争後でも、職人の異動率は100%だった。
つまり、おなじ場所で働く職人は、1年で他に異動したということだ。

いわば、自分の腕と条件次第で、企業を「渡って歩く」のがふつうだったのだ。
しかし、技術の進歩という機械化もあわせて、大規模工場ほど「渡り」をきらった。

条件次第の条件が、だんだんと労働争議になっていくからだし、それまでの職人の伝統的技術だけでは機械化に対応できない。
そこで、大企業ほど、自社内で訓練をして職人の養成をはじめた。
これを、「子飼い」といったのである。

第一次大戦による好景気を機に、定期採用という方式もうみだして、自社からの職人流出と、他社からの職人の流入を止めた。
これが、日本的長期雇用のはじまりである。
「子飼い」を重視して、「渡り職人」を排除したのである。

そうやって、年功賃金制もできたし、企業別組合もできた。
つまり、あんがいと第一次大戦は、その後のわが国に重要な時期にあたるのである。

その後、昭和になってからの「戦時統制」を経て、戦後体制に移行した。
しかし、現代にも「戦時統制」が続いているのがわが国で、あまりにもそれが「ふつう」なので、気づかないで生活しているのである。

すなわち、わが国は、いまだに「国家総動員体制」が連綿として続いているのだ。
この体制を、強烈にとんがらせたのが、「北」だとかんがえれば、こちらにも「旧日本」の一部として、尾てい骨のようなものがある。

政府の「働き方改革」が、実質には残業対策でしかなったことは、この「国家総動員体制」を崩したくないからである。
しかし、そもそも「働き方改革」がひつようになってきたのは、「働かせ方」に変化がうまれたからである。

その理由は、経営者が「人件費」を「費用」とかんがえることが、常識になったからである。
これは、経営者たちが「渡り職人」になったからできる発想だ。
それで、「損益計算書」という「計算書」にすぎないものを、「利益」創出の情報源だと勘違いしたことが最大の「原因」だ。

いい悪いでいえば、「お粗末」なのではあるけれど、残念ながら経営者にはなにかしらの権力がある。
これを推進しても、はたらく側が自己防衛しても、どちらも結果は「雇用の流動化」ということになった。

「デジタル・スキル」とかがさかんにいわれていて、自己研鑽につとめるひとが多数なのは、日露戦争前の「渡り職人」の時代にもどったからである。
すると、現代の「新しさ」とは、はたらくひとと経営者たちの「両方」が、渡り職人になったことだといえる。

つまり、どちらも「請け負い」という方式での「働き方」になったのだ。
これに、労働者不足からの外国人雇用も常態化すれば、第一次大戦後にできた「日本的雇用慣行」が維持できるはずもない。

すると、その先にある、「国家総動員体制」が成立しにくくなることは、ほぼ確実だ。
そのためにいま、政府(中央も地方も)それに野党も、全力をあげて国家総動員体制の維持に邁進しているとかんがえることができる。

わが国では、これを、「保守」という。

たとえば、「オリンピックの開催」とか、「コロナ」に、「生理の貧困対策」とか、あらゆる方面に「行政が介入する」ことを正義として、国民に「甘い飴」を与えながら、全体統制をするという「鞭」をかくすのである。

しかし、稼ぐ手段の大変化は、政府の思惑とは逆の方向にすすめる原動力となる。

古典的社会主義政策の理想、「国民皆保険」も、根底から問われるようになるし、市民税の「普通徴収」が「ふつう」になる。
「副業」が許されれば、「特別徴収」の計算が崩れるからである。
「労災保険」だってどうなるものか?

すると、健康なら得をするという、「正常化」も達成する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください