踏み絵になった「香港」

「香港」がひっくり返る。

アジアにおける「金融センター」として大繁栄してきたのは、「自由の賜」であることはだれもがしる理由だ。
本来は「東京」が第一の候補だったし、その地位を狙ってはみたものの、みごとに「失敗」したのは、政府による「規制の賜」であった。

日本人は、なにがしたいのか?

いろんな政策に『日本版』という文字がつくと、それは、本家・本元とはちがう「偽物」という意味になるのだけれど、どういうわけか、本家・本元より「優れもの」だと認識する、わるい癖がある。
たしかに優れているのは、政府・役人によるコントロールが効く「利権」としてみればそのとおりではある。

ダイナミックさがうしなわれ、チマチマした「制度」をつくることに長けるのは、国内行政法を縦横に調整する能力ゆえだが、国力を衰退させる努力になるから、目的合理性がないという結果になる。
緊急事態を解除したのに、自治体が勝手にダラダラ続けるのを放置するのもこの習性があるからである。

99年間で期限が切れるため、香港返還を条約どおり実行したときの英国首相は、たまたまサッチャー女史だった。
世界は、さらなる延長を言い出すかと気をもんだし、はたして共産国に引き渡すべきかどうか?を思料していた。

条約締結国は、「清朝」だったからである。
ちなみに、彼の国に正式に「国名」ができたのは、清朝を倒した辛亥革命による「中華民国」が歴史上の「初めて」である。
それまで王朝名しかなかったのは、世界の中心「中華思想」のためだ。

自分たちは世界の中心なのだから、そのへんのふつうの国とちがって国名を必要としない。
困ったのは、そのへんのふつうの国たちで、名前のない彼の国をなんと呼ぼうか?仕方がないので最初の統一王朝、始皇帝の「秦(シン)」の自国読み、英語なら「CHINA(シナ)」とした。

いまの英語の正式国名「the people’s Republic of China」には、しっかり「CHINA」をいれているけど、日本語表記の「支那」を嫌がっているのは「蔑称」だからという。

日本人の「支那」表記の発明は、発音からとった当て字なので、そんなことはないと反論しているものの、面倒だから先様ご希望の「中国」が通称となっている。
けれども、日本語で「中国」とは、古来より、鳥取・島根・岡山・広島・山口の5県の地域をさす。

そんなわけで、自分たちの都合に相手をとにかく合わせさせる、という思考をする訓練を積んだひとたちが、命がけで権力闘争までして、その勝者たちがつくる政権が相手の「香港」で、とうとう究極の法律が定められようとしている。

「一国二制度」という方便が、とうとう「嘘」だとばれても構わない。これで「台湾」も、確実に「覚醒」するのもいとわない。
そこまでむき出しに「やる」というのは、どんな理由があるというのか?

今年の9月に予定されている、香港立法院の選挙で、いわゆる「自由派」が大勝しそうだ、ということか?
これを未然に阻止するため、北京が決める法律で命じるのは、香港基本法がいう、香港のことは香港立法院で定める、をも無視する策だ。

この乱暴で野蛮なやり方を、アメリカをはじめとした西側諸国が活発に批判している。
けれども、北京で支配するひとたちは、もともとが乱暴で野蛮なひとたちだから、なにをいまさら、という感もなきにしもあらずだ。

日本政府が、このことに触れない、というのは、こうした意味ならいいのだけれど、発信しない、から理解されない。
むしろ、アメリカの同盟国なんかではなく、レッドチームの一員になりたいという本音がみえてきた。

それで、香港在住の日本人ビジネスマンが、匿名のSNSで、香港の自由派デモを揶揄する記事を「発信」し続けていたら、とうとう匿名のはずが本人特定となってしまった。

デモのせいでビジネスが大迷惑を被っている、ということからの「発信」だったのだろうけど、これが「日本人批判」に転じてしまったのだ。
外国の社会における「こっくりさん」が発露されたわけである。

あわてた日本の本社は、コメントを発して、まずは本人の「不適切な発言を詫び」、つぎに「本人を役員から解任した」とした。
匿名だったけれど「解任」つまり、会社を「クビ」になったのだ。

SNSで、酷いことになった女史プロレスの選手のことから、なにやら総務相が発言したが、本件にやっぱり触れない。

香港における「日本人批判」は、これからドンドンひろがって、まさか「日本人排斥運動」にならなければいいけれど、かんじんの日本政府が「国賓招待」をやめないから、世界的な「反日キャンペーン」になる可能性だってある。

となると、「身から出た錆」である。

そのキャンペーンの手段は、SNSにちがいない。
総務相はなんとするのか?

サッチャー女史は、香港返還にあたって、「香港が中国なるのではなくて、中国が香港になる」と演説したが、いまのところそうなってはいない。
しかし、世界潮流は、女史のいうとおりなのである。

「コウモリ国家」として生きる道は、不信の道である。

道議国家を目指すというなら、どうすべきか?
かつての「全方位外交」が通用しない時代になったことは確かである。

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