首相の賃上げ要請の意味

いまの首相のことだけではない。
アベノミクスという社会主義政策をやった、安倍晋三氏は、その間に「働き方改革」なる珍奇な政策をもって、「賃上げ要請」を財界にしていたからだ。

それでも、岸田氏が財界の新年会にノコノコと出かけて、名だたる財界人の前で「賃上げ要請をした」ことがニュースになった。
もちろん、「ニュース」としては、「賃上げ要請した」という事実しか伝えていない。

けれども、このことが真の価値あるニュースなのは、「マジ」だからである。

絶対権力を持っている王様が、その権力のあらん限りを尽くして、「インフレよおさまれ!」と命令しても、世の中のインフレがおさまらないことは、むかしの「女・子供にもわかる」ことだった。

けれども、どんどん教育が劣化して、大のおとながわからない国になったのである。

それで、いう方だけでなく、いわれた方も、またこのことを伝える方も、三方みんなでこれをニュースにすることの滑稽は、観るに堪えない「エロ・グロ・ナンセンス」の極みといえる。

いわれた側の代表たる、「勇気ある」財界人は、賃上げできる経営環境の(政府による)整備がひつようだ、と首相に向かっていったそうだが、これをいわれた首相がそのイヤミを理解できるかどうかよりも、自社を儲けさせることができない御仁が財界トップであることのナンセンスが、もうどうにもならないのである。

それでもって、この会場にいたたくさんの財界人たちが、「いやー、首相に一発かましましたな」といいながら、水割りでも舐めている光景を想像するに、いたたまれなくなのである。

まったくの妄想になるけれど、たとえば、財界トップが石坂泰三だったり、土光敏夫だったら、「政府が経済に介入するからこうなる。首相は経済対策なる民間経済活動への邪魔をやめろ」とか、「行政改革として、抜本的に経済産業省を廃止せよ」とかいって、ざまぁみろというすっきり感をあじわいたい。

 

ましてや、株主でもない首相が、どうして民間経営に口をはさむ権利があるものか。
ただし、いまや「上場日本企業群」の大株主になった、日銀総裁がいうなら話は別だ。

日銀が保有している「日本株」を、いつ、いかなる金額で「売り出すのか?」という「出口」問題は、あまりの無惨を日本経済に与えるから、国債とは別に持っているしかない、ということでの、実質オーナーの立ち位置が確定している。

この意味で、すでにわが国の上場企業は、株式会社としての機能を失っている。
日本国債の国債市場がない状態にあることと、そっくりな状況を日銀が株式市場でつくった。

資本主義とはどういう主義なのか?ということを、定義したのはなんとマルクスで、共産主義から理屈立てただけの単純理由で邪悪な主義だと決めてしまった。
それだから、じつは資本主義とはどういう主義なのか?についての議論がずっと止まっているのだ。

ただし、マルクスの親派ゾンバルトによる、資本主義発生のメカニズム解説は、あんがいとユニークでおもしろい。

ほんとうの定義が不明なまま放置されているのをいいことに、いろんな知識人が「ポスト資本主義」を語ってこられたのは、マルクスの独善的な定義に無批判で接ぎ木したからにすぎない。
だから、ポスト資本主義が、ぜんぶ社会主義になるのは、当然なのだ。

ならば、世界で最初に「株式会社」を発明したのは誰か?

オランダ人がつくった「東インド会社」が、本国から遠いために資金調達が困難になって苦し紛れに植民地のインドネシアでやったのが、人類初の「株式の発行」であった。

なんと、これを真似たのが、イギリスで、それから蒸気機関の技術革新と結びついて、イギリス本国での産業革命となったのである。
この意味で、イギリスはいわれるほどの産業資本主義の勃興に貢献していない。

「紘工業」の最初は、鉱山から石炭を掘り出して燃やす技術と、蒸気エンジンから生まれる「回転運動」をもって大量生産した「繊維産業」だった。
このために、最初コショウと阿片を目当てに征服したインドで、綿花を作らせて原材料にして、できた布地をインドに持ち込んだのである。

なお、コショウは自国とヨーロッパで販売し、阿片は清国に運んで銀をえた。
その豊富な銀を通貨にしたらたちまちインフレになるので、貴族の生活に欠かせない銀食器になったのである。

ちなみに、スターリング・シルバーの「スターリング」とは、価値あるという意味だ。
ちまたに銀があふれたので、自分で価値あるといったとかいわないとか?
なお、幕末の日本から大量流出した金・銀も、これに貢献している。

なので、阿片栽培の一部を綿花にしただけだったし、紅茶は規模が小さかった。
インドよりもっと近い、地中海でつながる中近東(本当は北アフリカ)のエジプトでも綿をつくらせたのは、スエズ運河を強奪して管理しながら、もしものリスク回避の一石二鳥だった。

そんなわけで、英・蘭の現在につづく豊かさは、当時の巨大蓄積の恩恵により、それが近年になって、急速に底をついてきた。
これが、いま両国で起きている、社会主義化の原因となる貧困化だし、両王室が妙に威張っていられる原因でもあるのだ。

七つの海を支配した「大英帝国」を、イギリス王室は自ら「帝国」とはいわない。
さすれば、「王国」なのは、ヨーロッパ人は「ローマ帝国」をすぐさまイメージしてしまい、ローマとは地縁も血縁もないことがばれることを恥とするからだ。

それでもって、英・蘭共にあくまでも「王国」なのである。

さてそれで、どうしたことか、こんなざまの英・蘭を自公政権が真似て、わが国も貧困化する努力をしているのである。

それが、社会主義化=共産主義・全体主義を目的としているとしか、かかんがえられないのは、マルクスのリニア(まっすぐな一本道)な思想の実現だと解釈のしようがないからである。

だから、安倍氏もそうだったけど、岸田氏はもっと素直に、自身が独裁的権限があるとおもっていて、賃上げせよ、と平気でいえるのである。
そんなひとに、もっと政府が補助金をくれないとできませんよとおねだりしたのが、「財界トップ」という、いまや乞食の組合長なのである。

ちなみに、わたしがエジプトで暮らしていた80年代のはじめにも、ご当地には乞食組合がほんとうにあって、乞食の子はちゃんとした乞食になるべく、幼児の段階で親が子を不具にする悲惨があった。

これを題材にした、エジプト版の吉本喜劇のような大衆演劇の上演作品があって、劇場で鑑賞したことがある。

底抜けに明るい乞食たちの暮らしと惚けた主張が、喜劇になっていたのだ。

地中海の真北にある、古代ギリシャの悲劇を超越した深刻な現代劇が、喜劇になって、乞食を卑下する身分が高いエジプト人庶民たちが嗤って観ているという絶望体験だったのである。

それが、首相からの賃上げ要請という喜劇の本質で、ほんとうは絶望的な悲劇なのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください