防衛費増額のための増税が議論になっているけれど、これに復興税から転用したらどうか?というアイデアに、被災地から「戸惑いの声」があがっているという。
国民が「総乞食」にさせられたことの、まじめな議論だといえる。
たとえば、「LGBT法案」の強行採決にあたって、首相は、「異次元の少子化対策」を行うという議論のすり替えを発言した。
みごとな、左翼思考の発言だから、左翼はだんまりを決め込んだ。
では、異次元の少子化対策とはなにか?と問えば、「こども家庭庁」の予算を、いまの「倍」にすることだという。
この役所が発する利権にかかわる、すべの乞食は、これを歓ぶだろうけど、こども家庭庁の予算が倍になると、どうして異次元の少子化対策になるのか?は、まったく意味不明だ。
すると、「少子化対策とはなにか?」を定義しないといけないのだが、一般にかんがえられる、「出生数の増」ではなくて、「どんどん少子にさせる対策」だとすれば、意味が通るのである。
ただ、上の首相発言には、あたかも「出生数を増やさないといけない」といった話があったから、大嘘つきが首相をやっているか、あるいは、自分の言動の意味が自分でもわからないひとが首相をやっているかのどちらかとなる。
どちらにしても、まともではない。
あらためて、「国家の三要素」を確認しよう。
・領土などの「領域」
・国民(恒久的な住民のこと)
・排他的な主権としての権力
すると、特定の領域にいる国民としては、政府には外国に対して排他的な権力を行使してもらって、領域を保全してもらわないと安心して恒久的(何世代にもわたって)に住んでいられない。
そのために、近代国家は、「国軍」を組織するのである。
なお、国家の上位に君臨する「党(ふつうは共産党)」の支配する国のばあいは、「政府の国軍」ではなくて、「党の軍(人民軍とかという)」で、対外的にも、(党員以外の国民を支配するために排他的な意味で)対内的にも、こうした軍が、国内外に、にらみをきかせているものだ。
なので、民主的な政府をもつ国は、ほとんどが「国軍」であるから、政府に従うので、ときに「政府軍」ともいう。
しかしながら、わが国のばあい、憲法であたかも国軍を保持することすら禁じられているようにもなっているから、あくまでも「自衛隊:Japan Self-Defense Forces」と自称している。
このため、外国がどんなに「日本軍」だと認知していようが、わが国の事情は、あくまでも国軍ではない、という時代認識でいえば「平安時代」とまったくおなじ状況になって70年以上をすごしてきた。
朝廷の官職にあった、「近衛府」は、左・右の二つがあって、それぞれの長官を大将、以下、中将、少将としていたけれど、宮中警護のためであったから、軍とはいえない。
さすがに自衛隊をそこまでとはいえないが、アメリカの武器を購入・消費する組織、というへんな位置付けになっている。
このところ、日本海から黄海周辺がきな臭く、波が高まってきてから、アリバイ特区としての防衛装備予算をつかうことが、まるで国防力を増すような錯覚を国民に与えているけど、ほんとうに領域を保全することができるのか?については、まったくあてにならないのが自衛隊なのである。
しかし、軍産複合体がつくっている、アメリカ民主党バイデン腐敗政権から、ウクライナがもう打ち止めだから、日本周辺で緊張を高めるようにするので、武器を買っておいてね、といわれたままを計上している。
世界の金融富豪から、日本経済の大発展はここまでといわれて30年。
日本政府もおカネがなくなってきたので、従順な子羊の国民から搾り取ることに専念して、とうとう「五公五民」にまでなったため、震災復興予算から流用する案がでたのは、良心的な財務官僚がいたからだろう。
けれども、復興増税という、およそ経済学的に破綻した方策を、これみよがしに実行したので、原発の補助金で生きてきた乞食たちには、いっそうばら撒くことで、史上最悪の原発事故でさえチャラにしようとしたのであった。
経済学的には、福島県全部を、「完全自由経済特区」に指定して、役所から戸籍係以外の役人を撤退させたら、いまごろはどんなに活況を呈していることか?
すっかり乞食の幸福に甘んじていた、福島県人たちが、あくまでも「共産主義体制」を望んだために、とうとう全国的迷惑になってきて、それがまさかの、国防予算に影響するまでになったのである。
とはいえ、上に書いたとおり、アメリカ製武器を買うことだけの工面なので、大勢に影響ないのであった。
ただし、とっくに、ない袖は振れぬ状態になっているのに、いつまでわが国政府は、わが国民から搾り取った税金を、あたかも「世界銀行ATM」のごとく、世界の皆さんが勝手に引き出せるままにしておくのか?
いやはや、こんなかんたんで、やられっぱなしの仕組みにも気づかない、日本国民がバカなだけなのだ。
それがまた、外国人観光客から、ニッポン凄い!と評価されて歓んでいるから、救いようがないのである。