政治のあるべき目的は、憲法第13条にあるように、住民や国民の生活安定と向上にある。
それゆえに、どんな「政治形態」が望ましいのか?という問題は、上記の「目的」が達成されるなら、なんでもいい、という結論になる。
つまり、「王政」だろうが、「独裁」だろうが、その形態はどうであれ、目的が達成できるのであれば、住民や国民から文句をいうはなしはない。
しかし、「王政」や「独裁」という「形態」には、どうしても「個人依存」という「偶然」が発生源となって、善政を敷いた王や独裁者の「後任」がまた善政を敷くとは限らない。
この不安定さをどうするのか?
それで考案されたのが、近代デモクラシーだった。
住民や国民のなかから、これは、という人物を選んで、その人物に「目的達成」を委託する、という方式だから、ダメだとなれば、別のひとに交代させる、あんがいと冷徹な仕組みだ。
これに、行政の方は、住民や国民のなかから、事務員に就職してもらって、生活の安定と向上のための各種手続き事務をするひとを雇うことにした。
それで、烏合の衆になっては困るので、首長とか首相あるいは大統領を別に選んで、組織の管理監督をさせることにしたのである。
また、悪さやトラブルが起きたときの裁定のために、裁判所というものをつくって、双方の言い分を聞きながら裁定するけど、それにはあらかじめ決められたルールがないといけないので、住民や国民のなかから選んだひとたちにルールを決めてもらうことをした。
そうやって、裁判所では、訴える側と弁護する側双方が、あらかじめ決められたルールをもって主張して、裁定をするひとは、これらの言い分をルールに照らして裁定することにした。
世の中が複雑になって、ルールもたくさん作られてそれでまた複雑になったから、たっぷり勉強してルールを知っていると認定されたひとだけが裁判にかかわることになったのである。
狭い地域に国がたくさんあって、共通の価値観がキリスト教だった(すでに過去形)ヨーロッパでは、高緯度で寒く食糧栽培ができないため、狩猟・肉食という基礎文化からどうしても人間が野蛮になるので、他人から掠奪やら強奪することを生活の基盤にしたし、征服者だったモンゴルやらの騎馬民族の血も引くので、その野蛮さは原始の動物的なのである。
とりあえず、ローマ帝国の歴史をみれば、いまなら精神異常者かとおもわれるような人物が、どういうわけか「皇帝」になって君臨し、おどろくほど野蛮な行為が記録されているけれど、かれらは「記録される」ということすら気にした節もない野蛮さを発揮している。
これは、「後世に残る」とか、もっと高尚にいえば「歴史になる」ということも意識しない、つまり、「恥を恥とも思わない」という態度で、ときたま「賢帝」があらわれる程度なのだ。
たとえば、キリスト教の結婚式で、「二人を死が分かつまで」と、結婚契約に「終わり」の規定があるのに、神道の誓詞だと、「永久(とわ)」で、両者には決定的違いがある。
なのでキリスト教文化では、本人の死後にはプライバシーが存在せず、有名人ほど、生前の恥ずかしいことも、個人的な手紙も、みんな公表されてしまう。
日本人に、この感覚はなく、欧米から輸入した、プライバシー保護も「永久」になるのである。
すなわち、ヨーロッパ人とは、日本人がかんがえる「道徳」のかけらもない、という意味の野蛮人なので、こんな歴史的人物たちを祖先にするヨーロッパ人は、日本人の「潔癖症的な道徳」とは別の、「もっと緩い道徳」しか意識できないのも無理はない。
そうかと思えば、ローマ皇帝に「ポッと出」のまともな「賢帝」もでてくるから、目くらましのように惑わされるのである。
それで、「人類は皆兄弟」という錯覚に陥るのだ。
結局のところ、自然に地球が寒冷化して、北方のゲルマン人が寒さによって南下して、ローマ帝国は滅亡した。
食い物がある土地を「奪う」ための死闘があって、持てる者が待たざる者たちに負けたのだ。
これと似たひとたちが、俗にいう漢民族だし、南北アメリカ大陸での原住民虐殺の結果が、現在のアメリカ大陸だ。
もちろん、ウラル山脈の西側にいたロシア人も、シベリア征服をおなじ方法でやったから、広大な領土をもつロシアになった(ロシア国内にはいまも約200言語の少数民族がいる)のである。
人類史ではより決定的なのは、モンゴル帝国だったのはいうまでもない。
こうやってみれば、日本はとんでもない野蛮な民族に囲まれて生き残ってきたといえる。
島国だったことが幸いしたのは、大袈裟ではない。
けれども、明治のグローバリズムによって、日本人の高潔な道徳に対する破壊活動が恒常化して、ついに78年前の敗戦で、決定的な破壊が加速・進行した。
明治には、個人の高潔さを訴えれば、それでよかった(選挙権も限定された)から、当選した個人が集まってそれを「政党」ということができたのは、まだ「目的」に対して機能していたからでもあった。
戦前は、民主主義ではなかったような錯覚があるのは、「大正デモクラシー」を横に置くからだ。
結局、自民党は、大正デモクラシーの「あだ花」だとかんがえた方が妥当なのだ。
その自民党で、党本部が機能するのは「選挙対策」だけで、その選挙は、候補者が自分で組織した「後援会」でやるしかないから、「自分党」という性格をもっている。
つまり、「自分党」の集合体が「自民党ブランド」なのである。
けれども、すっかり破壊が進んだので、欧米人が発明した「近代政党制」を導入するしかなくなった。
それでできたのが、「参政党」だ。
この苦し紛れが、日本人の「希望」になっている。
残念ながら、わが国はむかしのような「個人依存」がとうとうできなくなったのだ。
この「堕落」こそ、掃き溜めに鶴を呼ぶ。
それが、「不死鳥」となって復活のしるしとせよと叫んだのが、坂口安吾の『堕落論』だった。
参政党は、国民に意見を聞かない。
党員の意見や異見を聞く。
よって、国民は党員になって議論するべし。
果たしてその目的は明確で、生活の安定と向上、なのであるけど、経済政策の稚拙さは否めない。
不満があったら、党員になって意見を出せという、仕組みはよくできている。
それで、外部のシンクタンクにも課題分析を依頼している。
自・公も、大失敗した民主党も、官僚組織をシンクタンクにするしかなかったのも、近代政党ではないからだ。
欧米人がかんがえついた、民主主義の実行には、欧米方式のやり方しかないのだ。
これが、わが国における政治のグローバル化であって、その実現者に自民党や公明党、既存野党は適さないことが判明したのだった。