民間企業ではたらいていれば、なんだか「変な規制」に当たることがある。
まるで、「犬も歩けば棒に当たる」のような感じだが、あんがい笑っていられない。
よく調べれば、自社のビジネスに多大なる影響が発生することに気づくからである。
当然だけど、ビジネスにおける「規制」で発生する「多大なる影響」とは、たちまちコスト増になる。
だから、いままで出ていた「利益」が減ってしまうので、別の分野での方策をかんがえて対策にすることと、この規制によって発生した影響の対策と、かならず二方面作戦を強いられることになる。
しかし、世間は「規制」の議論しかしないので、企業内でのもう一方の努力については誰も気づかない。
株主だって、直接的な規制の影響だけに興味があるから、なんだかなぁ、なのである。
それで、株主を安心させようと、株主から経営を委託された経営者は、「ご心配をおかけして申し訳ありません」と頭をさげる。そのじつは「自分には関係ないし、だってしょうがないじゃん」なのである。
けれども、利益確保のためのもう一つの対策については、あんまり説明しない。
次期決算で、その効果がでなかったら、「経営責任」を問われるからである。
むしろ、次期決算でそのもう一方の対策が効果をだせば、お手柄として名経営者になれるかもしれないから、事前にいわない方がよい。
そんなわけで、こうした企業情報を報道する記者も、聞いていないことは質問しないから、報道しない。
こうして見事に、対策立案の当事者以外は誰も識らないことになるのである。
これが、社内官僚の仕事であるし、悲哀でもある。
しかし、いったんできた規制は、ほとんど緩むことがないから、規制が「ある状態」がふつうの状態になって、とうとう、規制そのものが「なかったかのように」なる。
いわば、「生存条件」になるからである。
むかしは、経済界も規制に「敏感」で、官僚出身だったのに「歴史的名経営者」になった石坂泰三氏や、苦労人の土光敏夫氏は、それぞれ経団連会長として、政府に異見をはっきり示していた。
その「異見」とは、「規制反対」だったのである。
わが国における、「自由経済」の守護神でもあった。
また、経団連とは一線を画し、その「理論武装」でならしたのが「日経連」で、こちらは労働組合との交渉における「窓口」となっていた。
日経連が経団連と合併したら、ライバルの労働組合も弱体化したようにみえるのは偶然ではあるまい。
よきライバルを失うと、それは自らの指針を失うことにもなるからである。
だから、本当はよきライバル同士は、親友関係でもあるのだ。
1980年、土光後の経団連は、稲山嘉寛に引き継ぐけれど、「我慢の哲学」で知られるこのひとは、「暖かすぎた」。
それは、「協調」なのではあるけれど、「妥協」とも見えてしまった。
躊躇なく敵に塩を送れたのは、わが国経済に自信があったからだろう。
さて、1977年に中日新聞社に入社した長谷川幸洋氏が、自身のユーチューブ・ニュース番組で、赤裸々にその経歴を語っているのをみつけた。
彼は、東京新聞論説副主幹の肩書きもつかって、東京MXテレビ『ニュース女子』の司会者をつとめていた。
この番組で、なんども自らを「元左翼」といっていたけれど、沖縄の基地問題の実態を放送したことが「事件」となって、新聞社の「論説副主幹」から降格されるという「事件」にもなった。
新聞社の論説方針とちがうことを、その肩書きをつかって「外部」で発言したことへの「懲罰」らしい。
こういう「懲罰」が、「報道の自由」を主張する新聞社内でまかり通ることに、強い違和感をおぼえるものの、個人的にこの新聞を買ったことがないので、この件は横におく。
彼の発言で、「そうか!」と気づかされたのは、「記者」とても、大学卒業後にそのまま「入社」して社会人になるので、じつは「社会をしらない」のである。
それに、社風が「社会主義容認」なら、左翼にシンパシーのある学生を選ぶだろう。
すると、長谷川幸洋氏が、人生のどこいらへんで「元」をつけるに至ったかはしらないけれど、社会主義的現状の肯定と、資本主義的現状の否定を追求するように上司・会社から要求され続けたことは、容易に想像できる。
きっといまもそうであるにちがいない。
氏は、カミングアウトしたので、現役記者当時、政府の規制に反対するという意識すらなかった、と告白している。
むしろ、正義の政府がする「規制」は、正しい、という認識だった、と。
そちら方面から見て、「正義の政府」とは、左巻きの政府という見え方であったともいっているのだ。
いまさらに、正しい認識である。
自民党は社会主義政党だし、官僚も東大というその筋の大学出身者で固められているからである。
しかしながら、あるときから、政府の規制の多くが、その裏に役人の「天下りがセット」になっていることに気がついた。
つまり、「国民のため」という規制「ではない」規制がはびこっている。
氏は、新聞社を定年退職されている。
やっと、定年後に自説をいえるようになったともいえるけど、わたしたちは、なるほど世間知らずの記者が書いた記事を買わされつづけているのだ。
規制が当たり前の国なのは、官僚と政治家だけでなく、マスコミの記者も、惰性で記事を書いているからであった。
でもやっぱり、経済界が情けない。