もしや「輸出管理規制強化」だった?

政府とは行政府のことをいうから、もともと事務的なのが当然だけれど、それでも「今回」の政府の対応がなんだかすごく「事務的」なのである。

今もつづく韓国へのフッ化水素などの輸出管理規制強化をはじめたときと、まったくおなじ用語が使われている。
当初、あちら側は、勝手に「経済制裁」だといいだしたけれど、わが国政府の説明は、韓国政府による重要物資の輸出入管理事務ができていない、ということを理由に、日本側からの管理強化をするにすぎないとした。

軍事転用できる物資の、輸入量と使用量が合わず、韓国国内での貯蔵をしていないなら、必然的に第三国への輸出(密輸になる)が行われていることが疑われる。
この疑問についての政府間での問い合わせに、返答をしない、という態度をとられれば、せめて書類審査を強化するのは当然だろう。

なぜなら、下手をすると製造元のわが国が攻撃されることだってありうるから、自動的に安全保障上の問題になるのだ。
これを放置して、本当に被害を被ったら、わが国はずいぶん「間抜け」なことになってしまうのだ。

冒頭の「今回」とは、日本学術会議の人事についてである。
総理が「法律に基づいて厳粛に対応している」としか説明しないのは、どこかで聞いたことがある言い回しではないか。

いま、世界情勢は「米中の闘い」の最中なのである。
アメリカ合衆国の議会は、与野党とも「反共」を露わにしている。
何度も書いたように、アメリカ合衆国という国は、わが国と違って三権分立しているから、政府よりも議会が主導権を握っている。

わが国の、政府が主導して国会が従属するという姿は、ぜんぜん民主主義の本分とは違うのだ。
だから、わが国の勘違いは、あたかも「トランプ政権が」といいたくなるのだ。

そうではなくて、議会からトランプ政権が「やれ」と命令されているのである。

そのトランプ氏が感染した。
「もしも」をかんがえれば、副大統領が政権を引き継ぐけれど、投票まであと一ヶ月を考慮すると、その「もしも」のタイミング次第で共和党大統領候補がペンス氏となれば、副大統領候補を立てなければならない事態となる。

ちなみに、アメリカの副大統領は、「閑職」というイメージがあるけれどそんなことはなく、上院議長を兼務する。
もし、副大統領「にも」もしもがあれば、下院議長が大統領職を引き継ぐのである。すると、トランプ氏を弾劾した「民主党のペロシ氏」となる。

国務長官を筆頭とする、「閣僚」に大統領職のお鉢が回って、序列が決まっているのではない。
もしものときに、閣僚から総理を決めるわが国とは根本的に制度が違う。
大統領の両脇に、上下両院の「議長」が控えとしての順位を確保しているのは、「選挙」の重みと「議会の優先」が思想にあるからである。

数々の対中締め上げ法案が通過している議会にあって、当然だが「同盟国」にも「要請せよ」と政権に命令するのは必然である。
これを、「外交」として実行しているのが、国務長官なのである。
そのポンペオ氏が、本日6日、来日する。

どのような「調整」が、事前に日米の政府間でおこなわれているのかしらないけれど、「日本学術会議の人事」が、ちょうどよい「見せしめ」になったのは果たして偶然なのか?

「学問の自由」を盾にして、政府に原案通りの任命を要求しているし、任命拒否の理由を説明せよ、と迫るのは、本稿冒頭の韓国の例によく似ているのである。

しかして、この「学術会議」は、数度も「軍事研究を禁止する」と決議していて、およそ「学問の自由」を自ら放棄している組織である。
それが、「特別職の国家公務員」なのだ。
さりげなく、官房長官がこの組織の「予算内訳」を発表した意味はなにかをかんがえればよい。

現在の科学技術は、もはや「軍事と民生」を区別できない。
わが国を代表する叡智の集団が、これをしらないはずはない。
すなわち、もはや「特定政治団体」なのである。
しかも、人民解放軍の下部組織である、あちらの科学団体との「提携」を文書で結んでいて、留学生受け入れを積極化しているのだ。

もちろん、こうしてやってくる留学生の「身元確認」など、するはずがない。
軍や党に籍を置くかどうかにかかわらず、「学問の自由」を優先させる。
すなわち、日本国を挙げて軍事転用できる「知識」を輸出しているのだ。
つまり、これは、「知識の敵国への輸出管理規制強化」の意思表明なのである。

特定国の留学生にビザを出さない、という方法ではなく、教師側に制裁を課す、うまい方法だ。

一部の学者たちは、すでにSNSをつうじて、「単なる左翼の政治団体」であると批判している。
また、元職の「議長」がその肩書きをつかって、共産党の街宣車で選挙応援をやっている画像までネット上には公開されている。

つまるところ、どうにもならない集団なのである。
しかし、こんな下世話なひとたちが、文部科学省の国家プロジェクト計画を、事実上決める権限をもっている。

学術会議も文部科学省も、廃止の方向で決定されるのが望ましい。

研究予算を思うままにする横暴をやめさせれば、少なくても、民間の研究が盛んになるという効果を期待できる。
国民福祉に貢献するという「学術会議」の目的は、消滅してこそ達成できるのだ。

まさに、オルテガ・イ・ガセットが指摘した「大衆」がここにいる。
彼がいう「大衆」とは、一般人のことではなく、堕落した「専門家たち」を指すのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください