外国政府要人に、かなりの「元軍人」がいる。
例を挙げれば、歴代アメリカ合衆国大統領で、公職(公選職と任命職)それに軍歴も「ない」のは、いまのドナルド・トランプ氏が「初」となっている。
そもそも、初代ジョージ・ワシントンからして、独立戦争の英雄にして将軍だった。
閣僚という点では、安定の国務長官といわれる、マイク・ポンペオ氏も、ウェストポイント(陸軍士官学校)を、主席で卒業し(退役時は陸軍大尉)さらに、ハーバード大学で法学博士を取得した人物である。
なお、その前に「理学博士」でもあるから、「文武と文理」両道の切れ者である。こういうのを本当の、「二枚刃」という。
トランプ政権が発足してからの驚きはいろいろあるけど、その若さとあまりにビジュアル系ともいえるいでたちで現れた、「第31代大統領府報道官」ケイリー・マケナニー氏の登場には、意外性があった。
わが国では、「ホワイトハウスの浜崎あゆみ」という、本人にどれほど理解されるかわからない表現で有名になっている。
御年32歳、夫は大リーガーで、一児の母である。
しかしながら侮ってはいけないのは、ハーバード大学法学博士という学歴よりも「職歴」なのだ。
29歳で、共和党全国大会の全国スポークスマンに抜擢されたのは、すでに大手メディアでの実績があったからである。
こういうのを、「キャリア」と呼ぶのではないのか?
本人の優秀さもあるのだろうが、さっと抜擢を決定するひとたちがいる。
なぜ、こんな「抜擢」ができるのか?
どんな人材リサーチをしているのか?
勝手に想像すれば、ポンペオ氏にして将来の大統領になる「人物」かもしれないし、マケナニー氏のキャリアがどう発展するのか?想像もつかない。
それにしても、つくづく思うのは、「人財の厚み」に関する彼我の差である。
基本的に、「人間」なのは「おなじ」なはずなのに、どうしてこうなるのか?
なにも、無い物ねだりをしたいのではないし、いまさらあちらが人種的に特段「優れている」というはずもない。
むしろ、過去をさかのぼれば、感心しない歴史背景をもっている。
大敗戦という結果になったけど、アメリカ相手に戦争をしたのは、いまの日本人には到底できない。
それで、日本人を改造すべく実施された、「教育改革」が学校だけでなく、社会のあらゆる方面に及んだ結果であるのは間違いない。
そのための放送や新聞報道だった。
いわゆるいまでいう、「フェイクニュース」を流して、社会の雰囲気を作れば、それを、「事実」にすることができた。
たとえば、先日の14日土曜から再び報道されている、「バイデン氏勝利」というのも、この前いっていた「当確」とどうちがうのか?
マケナニー氏は、「当選を決めるのはマスコミではなく、各州議会だ」とちゃんと発言し、さらに、「選挙不正」についての証拠をあげている。
かくも、大手マスコミが、世界中で、「あからさま」にフェイクニュースを発信するようになったのは、歴史上はじめてではないかと思う。
「トランプ降ろし」の大合唱は、トランプ氏が掲げる政治理念が、既得権破壊にあるからだという説がある。
既得権益者たちは、「カネ」で政治家をコントロールしてきた。
政治に「カネ」がかかるのは、万国共通だからである。
ここに、どちらさまの政治家にも「癒着」があった。
ところが、事業で成功したトランプ氏には、ぜんぜん「効かない」。
しかも、彼の実行力はすさまじく、それがほんとうに「国民のため」になっているのだ。
既得権益者たちのため、ではない。
歴史的「選挙不正」の証拠が次々と暴かれて、とうとう共和党も結束してしまった。
党内の反トランプ派とは、ネオコンのことである。
そのリーダーが、ブッシュ家だ。
コンサバティブ(保守)に、なぜ「ネオ」(新)がつくのか?
それは、実態が「グローバリスト」≒「民主党」だからである。
世界に武器を売って、儲けたい。
そのために、紛争や戦争を必要とする。
トランプ派は、ネオがつかない「コンサバティブ」なのだ。
紛争や戦争を必要としない。
ただし、知能と知略を必要としている。
戦後、将棋や囲碁が、禁止されなかったのは、まさに首の皮一枚だった。
禁止されそうだったからである。
どちらも、戦略と戦術の、知能と知略を必要とする「ゲーム」だからである。
「対戦型ゲーム」の古典。
一手ずつ交互に、というルールこそ「大発明」だといえる。
日本学術会議が「禁止」した、研究分野が話題になった。
しかし、まだ「抜けている」ことに、「軍事学」があるのだ。
軍事学の研究を禁止するばかりでなく、「授業」として認めない。
だから、日本人の学生は、「軍事」をしらないで社会に出るから、数十年で誰もしらない社会に改造できる。
いみじくも、いま防衛大臣政務官である松川るい参議院議員が、元衆議院議員の松田学氏とのインタービュー動画で述べているのは、「軍事に関する無知の不味さ」なのである。
彼女は、元外交官で、条約局を起点にしているキャリアである。
外交の「延長」に戦争があるというのは、世界の常識だ。
外交と戦争を切り離して思考するのは、発電と走行を切り離して思考するのとおなじくらい、ナンセンスなのだ。
条約を取り扱っていた元外交官が、防衛大臣政務官になって、初めてその重要性に気がついたとは、本人の「衝撃的経験」であったのだろうけど、これを、あっさり「告白」したのは、わが国の「機密漏洩」ではないのか?
真面目に訴えるべきなのは、閣内における「教育行政」への意見とすることだ。
わが国の経済を支えたひとたちが、どうして後継者育成に失敗したのか?
もちろん、本人たちは、「きっちり」やっていたはずである。
にもかかわらず、いま、その成果が微塵もみることができない。
もしや、「軍事学」を学んだ世代と、そうでない世代との「断絶」が原因ではないか?と気がついた。
「ビジネス」も、戦いなのである。
アメリカの大学は、軍事学が「必修」だと聞く。
まずは、彼我の発想の差の原因のひとつがこれか?
発想がなければ、ひとは行動をしない。
だとすれば、学術会議が弱ったいまが、軍事学を導入するチャンスなのだが、果たして「誰が」教えることができるのか?
元自衛官の出番である。