やばい『オデッサ・ファイル』

また今年も、8月がやってきて、まもなく、風物詩となった、「戦争反対のキャンペーン」シーズンがはじまる。
ずっと、あるいは「わざと」、国内の話ばかりとなっているから、たまには同盟国ドイツの事情について書いてみる。

フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』に次ぐ二作目が、こないだ触れた、『オデッサ・ファイル』(角川書店、1974年)だった。原本は72年の発表である。

 
 

ウクライナ戦争で、すっかり黒海の奥にある街・オデッサも日本人にはしられるようになったけど、本『オデッサ・ファイル』の「オデッサ」とは、この街は関係がない。

本書冒頭に、「ODESSA」とは、ドイツ語のOrganization Der Ehemaligen SS-Angehorigen(元SS隊員の組織)のイニシャルをつなぎ合わせた合成語だとの説明がある。

そう、「ナチス親衛隊(Schutzstaffel:略してSS)」の悪行を問う話なのである。

もちろん、作家は戦勝国の英国人だから、ともいえるけど、本作での「告発」は、「すべての報道記者諸氏に捧げる」とあるように、あくまでも、「ジャーナリスト目線」からの告発なのである。

それが証拠に、訳者が「あとがき」で書いている、「事実とフィクションが渾然一体となっていて、どの部分が事実でどの部分がフィクションなのか、判断がつきかねる」とあるとおり、ドキュメンタリー・タッチなのである。

「主人公」である、この恐ろしい組織は、最初、ナチス党内で、ヒトラー護衛組織として誕生したが、その後、国家警察(悪名高い「ゲシュタポ:国家秘密警察)」やら、「強制収容所」も傘下にした、巨大組織に成長する。

つまり、党が国家を支配する体制のなかで、その党を警察力で、国軍も含めすべてを支配したのがSSだった。
ゆえに、「国家の中の国家」とも表現されることがあるけど、これは悪い表現で、国家を超越した「なんでもあり」だといえる。

こうした組織設計は、ソ連共産党もやったことなので、「全体主義」という括りとすれば、どちら様もみな同じなのである。

だから、ヒトラーのナチスと、スターリンの共産党の「犬猿の仲」とは、何度もいうが、「同じ穴」のなかでの勢力争いにすぎない。
一方が極右で、一方が極左とだという表現は、あたかもそれぞれを「別物扱い」にして、誤解を増長するから、悪意が疑われる言い方だ。

われわれが憎むべきは、「全体主義」なのである。

その全体主義を根底から告発したのが、ハンナ・アーレント女史であったし、ハイエクであり、また、ドラッガーであった。

18歳のアーレントが、1924年にマールブルク大学で、実存主義の大家マルティン・ハイデッガーに師事し、その後不倫関係となったのは、『アーレント=ハイデガー往復書簡集』(みすず書房、2003年、新装版2018年)に詳しい。
わたしはこの本で、ハイデガーの実存主義を疑い、アーレントは、ハイデガーがナチスの思想的大黒柱に変容するさまをみている。

あくまでジャーナリストであるフォーサイスは、当然に、ハンナ・アーレントが書いてセンセーショナルを巻きおこした、『イェルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』(ニューヨーカー誌、1963年)も前提として執筆している。

 

しかしながら、アイヒマンを外国で逮捕・拉致したイスラエル政府の行為は、その外国の国家主権に対しての冒涜だとされて、その犯罪の議論を外野からの騒音にしたのも事実としてあった。
これにも、「ODESSA」が一枚噛んでいたかもしれない。

そして、なによりも、ドイツ人たち(当時は「西ドイツ」)が、過去のこと、として触れたがらなかったのは、敗戦間近の1945年2月で、SSは125万人とされていて、一般人にとっても近しいひとたちが隊員だったからだ。

巨大化した組織なので、あらゆる「調達」についても、人脈やらをたどると、「親派」はもっと増えるのは当然で、これがまた、正規の経済活動にもなっていた。

これは、橋田壽賀子の名作、『おしん』でも表現されていて、おしんの夫は、軍への納品を許されて、安定収入を得たのであった。
それで、その見返りに、軍への協力を惜しまないこととなり、敗戦後の「自決」となって物語は進展する。

ドイツ人は、こうした「反省」はしなかった。

だからといって、ドイツ人を非難したいわけでもなく、日本人を待ちあげたいのでもない。
どうしようもない強大で巨大な社会の歯車が動きだすと、どうしようもないことになるということに、重大な関心を持つべきだといいたいのである。

それが、当時のドイツ人がナチスを支持したことの分析につながる。

当初は、一部の過激分子(全体主義者)だけがワイワイやっていて、ノンポリの一般人は興味さえ示さなかったのである。
しかし、いまの日本も、国会で「絶対安定多数」をもっている自民党だって、じっさいの国民からの獲得投票率は、17%程度でしかない。

たったこれだけで、絶対安定多数がとれてしまう。

そうやって、全体主義の政権に「日和って」みたら、自己陶酔の精神的状況をつくれば自分だけ所得が増えて、興味のなかったひとたちが乞食のように群がった。
それで、国家依存しないと生きていけなくなって、積極的な支持、を自己演出してそれが、自己肯定となったのである。

ドイツ人は、戦後、過去のこと、として今度は、忘れる努力をしたのである。
しかして、日本人もドイツ人を嗤えるのか?と問えば、五十歩百歩ではないか?

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