10日、アマゾン・プライム料金の値上げがニュースになって配信された後に、アマゾンから「【重要】プライム会費変更のお知らせ」が届いた。
内容は、今月24日より、年間プランなら4,900円(税込)だったものが、5,900円(税込)になるという、「通知」である。
理由説明は特にない。
ただし、「今後も、今まで以上に会員特典をお楽しみいただけるよう、サービスの拡大を目指してまいります」とある。
なので、どんなサービスの拡大があるのかもわからない。
この20.4%に当たる「値上げ」に、契約者は抵抗できない。
今回は、こうした支払い負担の仕組みについて書いてみようとおもう。
デジタル・ツールのうち、個人が所有する、「ガジェット」(ちょっとした小物)に、通信機能が付加されて生活が一変した。
いまでは、その典型は、スマートフォンであり、タブレット端末であろう。
いまだに「PC」は、ノートブック型であれ、「ガジェット」扱いにはなっていない。
ポケットに入るスマートフォンを、わざわざコンピューターであると言わなくなったのは、その遣い勝手がおよそコンピューター的ではないと思い込まされているから、とも言える。
まぁ、「電子機器」であるとの認識は共通であろうが。
前にも書いたが、通信革命によって、日常生活における、「通信費」の位置付けも大変化した。
わが国でいえば、飛脚制度から郵便制度ができたときの変化が、第一次通信革命といえただろう。
「切手」を購入して、これを貼り、消印を押すことで消費が確定した。
宛先は、全国どころか、全世界になったのである。
だから、郵便物がちゃんと届くエリアを、文明国と呼んで差し支えなかった。
郵便が届かないなら、そこは未開地だという意味だったのである。
それから、電信が発明されて、電話ができた。
FAXの発明から、パソコン通信を経て、電子メールの普及が電子取引となった。
そのやりとりが、個人のガジェットで可能になったのが、現在なのである。
通信費が限りなくゼロになった、というのは、発信者と受信者間でみれば違いないけど、そのためのインフラ負担がある。
それが端末購入費となっているし、課金制度もしかりなのである。
わが家では、電話加入権を買って、黒電話が設置されたのが、昭和40年(1965年)ごろだった。
昭和の終わり頃、1988年に建て替えをするまで、この黒電話は現役だった。
つまり、この黒電話の端末負担料は、限りなくゼロであったのだ。
しかし、いまでは、スマートフォンの寿命は、2年から6年までしか、保証されていない。
それも、メーカーとしてではなくて、OSの都合で決まるということになっている。
この意味で、生まれながらにしてスマートフォンが普及している「α世代」とは、過去にないほどの通信費負担をなかば強制されているのである。
1台5万円のスマホを、小学生(たとえば5年生として10歳)から使うなら、端末利用する限界を80歳として、70年間お世話になる。
これが2年ごとに買い替える必要になるとすれば、35台を消費する。
単純に端末購入費だけで、175万円の出費が予定されるのである。
もちろん、これに通信量が加算されるし、各種アプリのためのサブスクリプション負担もある。
そうすると、アマゾン・プライムというサービスも、サブスクリプションの一部なのだといえるし、リアル店舗の「コストコ」の年会費も同様だ。
さしものα世代も、独立した消費者になるのは20歳からだとして、上と同様に計算すれば、5,900✖️60年=354,000円となる。
端末代とアマゾン・プライムだけで、200万円をこえる負担が、生涯で確定しているのだ。
何度もしつこくて恐縮だが、通信料金とその他のサブスクリプションなどの加算分は別料金だ。
現代日本の、フルタイム・パートタイマー(この言い方も妙だが)の企業負担人件費としたときの平均は、ざっと250万円である。
雇用者と被雇用者の目線の違いから、どういうわけか税金やら配偶者控除が目立った議論になって、あたかも「103万円の壁」をいって、少ない年収の方が「得」だという意味不明がまかり通っている。
しかし、よくよく見たら、パート年収の1年分を基礎的通信費として、薄く生涯負担させられているのである。
アマゾン・プライムのはじめのサービスは、新刊図書を購入したときの送料が無料になる、だけ、であった。
わたしの個人的な要望は、これだけで十分だから、安くしろ、といいたい。
あたかも、日本の電機メーカーが、「多機能化」をもって、余計なお世話の「高単価」路線で失敗したように、アマゾンが同様な失敗をするものか?をかんがえると、ずっとアマゾンに優位性がある。
これが、「寡占化したサービス」の強さというものだ。
大企業を制御するために強力なはずの「独占禁止法」が、効かない分野が登場していることはしっていていい。