なにもネット社会になったから、すべての投稿が記録される、「デジタル・タトゥー」になった、ということだけではなくて、「印刷」ができるようになった人類は、過去の印刷物を読み返せば、そこにある文字が自動的に語りかけてくるものだ。
それが、「著作権」と「文責」というものを生んだ。
著作権として保護されるのが、著作物の「権利」だから、もう一方には、「責任」があるのだ。
この点でいえば、アメリカ政府の政府刊行物(「軍」も含む)には、一切の著作権がない代わりに、機密指定があるし、その機密も最長75年で解除されることになっている。
なので、アメリカ人は一般的な著作物である政府作成の文書ならなんでも、無料でコピーできるし、作った側の政府も、コピーされてそれが一般に広がることを歓迎するのである。
一方で、アメリカ人には無料だけれど、外国人には有料にする、という発想も生まれる。ただし、その区別のための事務が煩雑なので、外国人であろうが実質的に無料で閲覧もコピーもできるのである。
対して、とち狂った日本政府は、政府刊行物に著作権を設定して、コピー・フリーという概念を持っていない。 一体全体、これらの刊行物は、税金でつくられていようが一切気にしないのである。 むしろ、これを「実費」以上の値をつけて売ろうという姑息でもって、平等を主張する。
政府のお墨付きがある文書が欲しいならおカネを払わないといけないのは、欲しくないひととの平等を維持するためという、あり得ない理屈となる。 ほとんど、二重課税に等しいのだ。
「白書」とか、「青書」といったものは、無料で配布して、コピー・フリーにするのが、国民の情報源としては当然のことになるのに、だ。 ついでに、わが国の機密文書には、「永久」もある。 なお、公文書そのものを保存するにあたっては、永久ではなく廃棄することにもなっている。
ただし、アメリカの例でも、もしも日本政府も著作権を放棄したなら、今度は、「文責」が免除されるという甘さが生まれるかもしれないから、その内容品質については、議会のチェックが欠かせない。 「ゴミ」を税金で生産するな、というわけである。
さてそれで、ウクライナの戦況が、いよいよ最終局面になってきて、はなから存在していない、ウクライナ軍なる武装組織(実体は、アゾフ大隊を中核とする、「私兵」である)が、降伏寸前に追い込まれている。
「ロシア軍の劣勢」をとにかく書き続けてきた、西側メディアの化けの皮も同時に剥がされる時となる。
テレビやラジオは、どうやって画像や音声を消去するのか?に余地はあるが、新聞と雑誌にはこれができない。 日本の新聞社は、後で「縮版」してまとめたものも発刊するけど、こちらは何度か記事を改竄した実績がある。 とはいえ、「本紙」は、もう改竄できない。
そんなわけだから、メンツ丸潰れになるのは時間の問題なのだけど、ウクライナの負け方が劇的なら、それで逃げ切りを図るかもしれないのである。
最初から、「オルガルヒ」という、欧米グローバル資本と組んで急成長した新興財閥が、俳優だったゼレンスキー氏の背後にいた。 彼が主演した、人気ドラマは、熱血高校教師が大統領になる、という話で、こ番組のスポンサーも、テレビ局オーナーも、同一人物で、しかもアゾフ大隊の所有者であった。
なので、残念ながら、ゼレンスキー氏の「終演=終焉」も近づいている。
すでに、国外逃亡が予想されているけど、受け入れ国の候補は、イスラエルが有力だという。 しかし、このひとが、安穏として「回顧録」とかを書こうものなら、裏側のひとたちには大変なことになるので、かなりの確率で命がないという予想もある。
これからどうなるのか?は、わからないけど、少なくともロシアにとっては、所期の目的を達成したことになる。
それでもって、よせばいいのにバイデンのアメリカ民主党が、ロシアに対抗し続けるなら、今度は、我が国の北海道をはじめとした安全が、あり得ないほどの危険にさらされる。
中・露からの同時攻撃となったら、我が国は、あっという間に北はロシア領、南は中国領になって、せいぜい首都圏がアメリカの保護区になれば幸いだ。 なんだか、あたかも、統一地方選挙での売国自民党やらの勝利を待っている感のある、不気味な様相になってきている。