外国人へ軍事教練をするニッポン観光

我が家のJR最寄り駅から、ゴミ箱が完全撤去されて、駅前スーパーにもゴミ箱がない状態があるから、不要なレシートとか、売店で求めた清涼菓子の包装フィルムとかのゴミを捨てられない。

善意からの発想だとしたら、大まちがいで、単なる社会的イジメである。

きっとこんな阿呆なことを発想したり、それを裁可できる神経がある人物たちは、子供時分に陰惨かつ周到なイジメをやっていたにちがいない。

それでもって、自分は頭がよくて優秀なのだと思いこんだのだろう。

かつての日本の教育に、人物をつくる、という、世界に類をみない崇高な方針があって、それがまた下層民すら当然としていたのは、下層民にも判断力があったからである。

なので、これが武士たちの態度を堕落させずに防止した。
「恥ずべきこと」には、本当に恥じたのだ。
「恥じ」とは、社会的な評価のことなので、名誉と直結する。

武士が名誉を命がけで守ったのは、上辺だけの見栄ではなく、末代まで、という永遠の汚名に耐えられなかったのである。
つまり、武士たちは、未来を見つめていた。
自分の血筋が、未来永劫続くことのイメージは、天皇家という「本家」が示す、物理的証拠による。

その未来へのイメージの原点に、古典があった。
江戸初期からしても700年前になる、『古今集』やらが示す文化と教養の高さが補強したからだ。

そうやってみると、現代は、驚くほどの「退化」をしていて、現代人にとっての未来とは、たかが数十年後(自分が生きているまで)のことで、1000年どころか100年先を見ることもできなくなった。
46億年の歴史がある、地球の将来を、そんな短期の目線だけでみて、環境問題を云々する愚かさは、ただの偏向した政治活動だとまだ気づかない。

しかし、富豪たちがやりたい、全体主義(世界政府の樹立=国連)のためには、個人主義が染み着いた欧米人の再教育が必要なのだ。

そのために、日本への旅行が推奨される。

円安とこれまでのデフレで、世界価格から乖離している日本の物価水準は、欧米人からしたら「別世界」なのは当然で、清潔で安くて美味しい日本の食事も多大な魅力を提供しているし、本来ならば、観光資源になりようのない、治安のよさ、も、欧米の水準からしたら、「別世界」なのである。

だが、気づかない「別世界」がもうひとつあって、それが、「全体主義軍事教練の場」としての、日本という時空なのである。
この意味で、欧米の観光客は、北朝鮮にわざわざ行かないで済む。
外貨をなんとしても得たい北が、日本海へミサイルを飛ばす理由になるのだ。

さてそれで、欧米からの観光客は、所得が高い人ほど、日本文化に興味がある、という強い傾向を示している。
ただし、超富裕層は、彼らの生活水準を満たす宿泊するに足るレベルの宿泊施設が皆無なため、日本には来ない。

もちろん、こうしたひとたちは、たとえば、民主党オバマ政権時の元国務長官で、いまは気候変動大統領特使をやっている、ケリー氏のように、どこへ行くにも必ずプライベート・ジェットを利用する。
残念ながら、我が国の鉄道駅ロータリーにみられる、自家用車を排除する設計がふつうのように、国際空港でプライベート・ジェットの駐機場を完備していることは珍しい。

その中で、「富士山静岡空港」は、成田と羽田にとめられないで追い出された機体を受け入れている。
彼らは、ここからヘリで、修善寺温泉の高級旅館を貸し切るのである。
このパターンでは、我が国における全体主義軍事教練を受けることにはならないことに注視したい。

ふつうの大型旅客機で来日するひとたちは、必ず全体主義軍事教練を受けさせられるのだけれども、もちろん本人たちには無意識での刷り込みとなっているから、より高い効果を上げるのだ。
それは、日本人一般の中に溶け込むことで、自然に習得させられることになっている。

日本人の一般人たちが、だれでも子供時分から受けている学校での集団教育(=基礎的軍事教練)が、その特殊性の最たるものではあるけれど、全員がこれに従う社会を形成しているので、多勢に無勢の欧米人は、「郷に入れば郷に従え(When in Rome、do as the Romans do.)をあらかじめ心得ているので、素直に従うのだ。

地下鉄やらの公共交通機関を使って、渋谷のスクランブル交差点を見学・体験することを皮切りに、日本滞在中の彼らは、あらゆる生活場面と観光地で、全体主義の軍事教練を、楽しくかつ緩やかに体験し、習慣化によって身につけるのである。

ゆえに、彼らは帰国後、恐るべき「逆カルチャー・ショック」にさいなまれる。
真面目でコツコツやるタイプのひとほど、母国でのガサツで無秩序な生活が、生理的に耐えられなくなるのである。

そして、それが本人には、「日本中毒」という自覚をもたらして、日本再訪を夢見るようになるのだけれど、じつは、全体主義軍事教練の成果なのである。

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