万事休すのIMF「国際CBDC」

もうどうにもとまらない!

1973年(昭和48年)のヒット曲、『どうにもとまらない』(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一)の出だしは、「うわさを信じちゃいけないよ」だ。
それで、「あゝ今夜だけ あゝ今夜だけ もう どうにも とまらない」でしめていた。

この歌から、半世紀。
われわれは、個人としての自由な生活に終止符が打たれようとしている、といってきたが、とうとう、「打たれた」のである。

日本の将棋でいえば、「詰み」で、西洋の将棋チェスでいえば、「チェックメイト」である。

それが、14日、ワシントンで開催された、IMFの「国際通貨金融委員会(IMFC)」で、わが国からは、鈴木俊一財相と植田和男日銀新総裁が参加した。

この日付と、この二人の名前は、将来、「痛恨のおバカ」として試験にでるかもしれないから覚えておいた方がいいかもしれないが、IMFの意図通りの世界になったら、レジスタンスの地下情報になるにちがいない。

財務省と日銀の関係は、「別々」というのが、『新日銀法』(平成10年4月1日から施行)の主旨である。
つまり、この法律で日銀は、国家の子会社ではなくて、「独立した存在」だと決めたのだった。

しかし、日銀は企業コード(8301)をもつ、株式会社でもあって、その株式の半分を日本政府がもっている(といわれている)から、日銀法で子会社ではないといっても、そうはいかない。
「といわれている」というのは、日銀は一度もその株主構成を発表したことがない、「特殊な会社」だからである。

ほんとうは誰がどのくらい株式保有をしているのか?ぜんぜん、わからないのだ。

権威主義に染まっている日本人は、財務省の方が日銀の上位にあって、財務大臣の方が日銀総裁よりも偉いと思いこんでいるけれど、ほんとうなのか?

概ね「正解」を無料動画で解説してくれるから、なんだか便利な、高橋洋一教授(元大蔵官僚)も、ときたま情報操作をやるので、全部が全部「信じちゃいけないよ」になるのだけれど、その一つの例が、「日銀は政府の子会社です!」といい切っていることが挙げられる。

本質的(株主構成)からすれば、その通り、だけど、日銀法をどうするか?がある。
安倍氏は第二次内閣の看板「アベノミクス」で、いうことをきかない白川総裁に、日銀法を元の政府子会社に戻すぞ!と脅して、辞任させ、黒田財務省財務官を就任させたのだった。

この点で、安倍氏は、凄みがある政治家ではあった。

とはいえふつうは、こないだ就任したばかりの新総裁、植田和男氏(東大教授)を、もしも財務大臣が解任したいとおもっても、ぜったいにできない相談なのは、それが首相であってもおなじだからである。

なんと、いったん任命(内閣だけでなく、衆参両院の半数以上の同意が必要で衆議院の優越はない)したら、自分から辞めるといわない限り、だれにも辞めさせることができないのが「日銀総裁」なのである。

対して、財務大臣は首相が解任できるし、選挙で落選したら、政治的に職に留まることはできない。

この点で、神奈川県民は総じてバカだと認定されて、その神奈川県から選出されたのが、民間人のままでは格好が付かないからと参議院議員になったのが、竹中平蔵氏(慶大教授)であった。

もちろん、このひとを経済担当相にしたのは、そんなバカの集団の一部から選ばれた、神奈川県横須賀市の小泉純一郎首相だ。

さてそれで、そもそもIMFとは「やばい組織」で、実質的には、軍産複合体が仕切っている。
その実態を隠すために、トップの専務理事を支える「ナンバー2」に、日本の財務省から役人が「副専務理事」で出向しているのだ。

だから、IMFを仕切っているのは日本だとだれも思わないのは、大蔵省を解体して「財務省」にさせた、アメリカ財務省の傀儡だからであるし、FRBがその裏にいる。
このことは、「世界銀行」も同じ構造だと前に書いた。

さて、財務省より目立たない日銀の方が、やっぱり下だという根拠はどこにもなく、むしろ、通貨の話になれば、日本の通貨「円」を発行している日銀こそが、主役に躍り出るのは当然なのである。
つまり、日銀総裁の、「露払い」が財務大臣なのである。

それで、「CBDC」とはなにか?といえば、中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency)のことである。

この会合で、IMFが「途上国向け」のCBDCを促進するのを、日本も協力すると決めた。

つまり、
(1)IMFがCBDCを決めたことと、
(2)途上国向け支援をすること
のふたつが同時に決まったのだ。

わが国の「円」も、アメリカ「ドル」でさえも、中央銀行が発行するデジタル通貨なんてない。
自国でないのに、発展途上国に支援するとはなんのことだ?

念のために書けば、自由経済における通貨の最大のポイントは、「匿名性の確保」にある。

さいきんでは、だれが触ったかわからないお札が「不潔」だとして、電子決済(キャッシュレス)のなかでも「なんとかPay」を利用する、病的な潔癖症のひとが増えているらしいけど、それでもらえるポイントバックが、これまた「お得」という乞食がいる。
自分の端末あてにポイントが付くというのは、匿名性がないからだ。

病的で乞食なのは、お気の毒だけど、健常者には迷惑なのである。

なぜなら、匿名性がない決済が普及して、その方法だけが決済方式になった途端に、われわれの自由(「生存」も含む)が終わるからである。

誰がいつ、なんの目的(購入)でいくらを使ったという、情報だけではなく、しっかりスマホ端末の個人情報も盗られているから、そのひとの生活データがぜんぶ、システム提供者に把握される。
すると、この決済システムだけの世界になったら、システムが使えない状況のコントロールで、下手をすると命を失いかねない。

総ての決済ができないならば、ペットボトルの水さえ得られない。

本邦では、『ザ インターネット』とされたけど、オリジナルは、『The Net』(1995年)のこの映画の「先見性」を、改めて確認するといい。
当時は、クレジットカードが使用できなくなる、という表現で済んでいたけど、現実は、通貨そのものになる。

その使用条件が、政府に従順であること、という情報把握と合体したら、もはや全体主義社会が完成するのである。

すなわち、途上国から、IMFは人々の完全支配をする、と決めたのである。
そうやって、「次」は、日本の番になるということだ。

これを、「自分だけ 自分だけ」と乞食たちが使うことで、もうどうにもとまらないから、「万事休す」なのである。

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