地元の作家を「所蔵する」郷土愛

地方の図書館がとんがって充実すると、観光資源になる。
これに気づかない、観光資源開発の浅はかさとは、なんなのか?

「秋の遠足」と称して、水元公園を目指して出かけてきた。

お弁当をどうするのか?という問題に、
⑴ 横浜で「シウマイ弁当」を買って持ち歩く
⑵ 上野で駅弁を買って持ち歩く
⑶ 南千住の「アオキヤ」で、ジャンボパン・サンドを買って持ち歩く

ということで、アオキヤのジャンボなコッペパン・サンドに決めた。

購入したのは、メンチパン:300円、ハムカツパン:250円の2個で550円。
コロッケ・パン(270円)は揚げるのが間に合わず、断念してメンチにした。
あとは、トンカツ・パン(300円)という、4択のメニュー構成である。

1個に、それぞれメンチカツ2枚、ハムカツ2枚というボリュームなので、家内とふたりでも、これで十分な「お弁当」になるのだ。
あとは、どこかのスーパーの生鮮コーナーで、千切りキャベツとかを買って、これまた挟んでしまえば、贅沢な逸品となる。

ここのパンは、ヨーロッパでうけると思うが、おそらく店主はかんがえていないだろうけど、これを実現する投資の仕組みがわが国にはない。

贅沢といえば、少し歩いたところにある、わが国喫茶店の最高峰、「カフェ・バッハ」のコーヒーをポットで購入して、水筒に入れて持ち歩くという、究極もある。

すると、東京駅八重洲口とか上野駅から都バスに乗って、まずはコーヒーを仕入れる、というコース設定がよさげである。

荒川区といえば、東京でもマイナーなイメージがつきまとうが、そこは、「とうきょう」なので、贅沢な公共施設がちゃんとある。
なかでも、荒川区立図書館がある「ゆいの森あらかわ」がひときわ贅沢だ。

どうして、「ゆいの森」なのか?については、荒川区公式HPに、「人と人、本と人、文化と人が結びつき、楽しみ・学び・安らげる、豊かな森のような施設となるよう名づけました」とある。

へぇー。

わたしは、「ふれあい」とか、「草の根」とかといういい方が好きではない。
情緒は大切にしたいが、情緒を政治利用するのはいかがか?とおもうからである。

よくある、「ふれあい広場」とか、「ふれあい公園」とかというと、戦後日本の、皇居前広場とか、日比谷公園を代表に、横浜だと、横浜公園とか山下公園の植栽が、夜になるとカップルの巣窟だったことを思い出すのである。

この意味に近い、「ゆいの森」だが、全国的にマネはされていないようだ。

ここに、地元が誇る大作家、「吉村昭記念文学館」がある。
書斎をそのまま再現するなどの、入れ込みようで、たしかに吉村昭の作品を深く読んでみたくなった。

再現された書斎には、蔵書も揃っていた。
目についたのは、『慈恵医科大学100年史』で、作品、『白い航跡』を思い出した。
また、『富士市史』があったのを何故かと思ったが、ウィキペディアに、曾祖母から祖母、実母までが、いまの富士市出身だったからだろう。

始祖が、福島正則の家臣で、改易後に富士に移転したという家歴が富士市の歴史を調べることにしたにちがいない。
おそらく、「女大学」などの教養にあふれた、これらの「女たち」が、吉村の人格形成を決定づけたのではないか?

ただの、「おばあちゃん子」とはわけがちがう。

とはいえ、些末かもしれないが、吉村氏の自宅は、井の頭公園近くにあって、三鷹市に寄贈されていて、これを移築・公開するための寄付募集でクラウドファンディングが行われている。
財源の正当性でいえば、三鷹市に分があるのだ。

そんなわけで、三鷹市と荒川区が、「書斎」をめぐって競争しているのである。

ところで、荒川区西日暮里に昭和2年に生まれた吉村氏は、空襲で焼け出されるまでここに居住していた、というから、作家になる前の人生を荒川区で過ごした「だけ」といえば、せんない話となる。

このところ、図書館にまつわる話を書いているので、これを拡大すれば、自治体として「地元の作家や著作」にこだわるのならば、たとえ無名な作家でも、無名な作品でも、「ゆかり」があればしっかりコレクションすべきではないのか?

「有名だから」だけがコレクションの理由であるのなら、それは、過去のコレクションになる。
つまり、博物館化する。
その意味で、『吉村昭記念文学館』も、博物館化しているのである。

しかし、図書館というものの役割は、「記録」というものに特化した文化施設なので、いま、無名だとかという理由は、関係ない。

もしや、百年とか後に、「発掘」されることだって十分にありえるのである。

つまり、未来も見据えた活動ができるのが、図書館なのだ。
ここに、「郷土」という意味が付加されると、がぜん「観光資源」へと変貌する可能性がある。

だから、ちょっとでも居住していたとか、ちょっとでも言及されているとかで、十分な、「資料」となる。

すると、著者の経歴や、その著作にある中身を誰がどうやってリサーチするのか?という、「書誌」の重要性がクローズアップされる必然がある。
もう、これだけで、十分な知的職業人を採用しないとできないのである。

そして、その作業の記録もまた、後世へ引き継がれる。

つまるところ、図書館の重要性とは、ただ蔵書があって、これを読むことができる、ことだけでなく、「書誌を作り出す」ということの重要性こそが設置者や運営者側が意識すべきこととなる。

すると、わたしの著作も、神奈川県立図書館や横浜市立図書館の蔵書になるだけでなく、どんな「いわれ」や「ゆかり」があるのかもセットになって、市民に紹介されないといけないことになる。

それを期待して、寄贈してみてようか。

ちなみに、毎年1回は知人を訪ねていく、富士市だが、その富士市中央図書館には、「郷土出身の作家たち」というコーナーがあって、当然そこに、吉村昭も含まれていることがわかった。

来年は、図書館にも寄ってみたい。

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