「大衆酒場」とか「大衆演劇」、「大衆小説」とかにつきまとう、「大衆」とは何者か?
産業革命によってヨーロッパで発生したのが、「労働者階級」というひとたちだった。
とくに、本家本元の英国では、ハッキリと位置付けられて今にいたっている。
その支持基盤が、「労働党」というわけだ。
これより少し前に、あたらしく「ジェントルマン」という階級が生まれた。
新興の、富裕層という意味である。
いつでもどこでも、金持ちにはひとが群がる。
気分によってはあわよくば、何かにありつけるかもしれないからである。
その中には、当然ながら、貧乏貴族も仲間入りして、自分の地位をジェントルマンの財力をもって、よりよくしたいと目論むからである。
もちろん、ジェントルマンからしたら、貴族の家名を継ぐひとと懇意になれば、それだけ箔がつくというものだ。
英国の富裕層が、どうしたことか「登山」を趣味にしたのは、そんな淡い期待を抱きながら、パーティを組んだのかもしれない。
そんなわけで、狭い英国から飛び出せたのは、世界を支配した大英帝国の威信をかけた旅でもあった。
そうして、目指したのが、ヨーロッパ・アルプスの中心地、スイスであった。
主たる産業が、「傭兵」という当時のヨーロッパ最貧国とも考えられるスイスに、金持ちたちが道楽で登山に来たのである。
これが、スイスにおける山岳地方の観光開発のはじまりだ。
山と景色しかないど田舎でも、威信を背負い込んだ英国紳士たちはロンドンの邸宅と同様の快適さを要求した。
ただし、見返りは、当時の泣く子も黙る、スターリング・ポンドの金貨であった。
あくせく働いても、滅多にお目にかかれない金貨が、容易に手に入る。
これで、スイスは、ヨーロッパの金持ち御用達の観光地となり、貧乏人は相手にしなかったのである。
しかしながら、同時期に一方で、労働者階級という巨大な集団も生まれていた。
これが、「大衆」なのである。
よって、給与所得者となった大衆が息抜きをすると、それは「団体観光旅行」となったのである。
『細うで繁盛期』に登場する、二つのタイプの旅館は、保守的な「福原屋」と、近代的で革新的な「大西館」という対比設定だったけど、福原屋の顧客イメージは、「富裕層」であったのに対して、大西館は、「大衆」であった。
川端康成の、『伊豆の踊り子』とは、本宮ひろ志の『俺の空』の主人公、安田財閥の御曹司、安田一平バリの書生が一人旅の中で知り合った、自分の意思とも家族の事情ともしれぬ、踊り子との、身分を超えた淡い話なのである。
当時の日本は、まだ身分社会であった。
つまり、書生が定宿にしたのは、福原屋の方で、大西館ではない。
しかして、戦後のわが国は、財閥解体と農地解放で、書生のような生活ができるものは滅亡させられたのである。
これが、大西館の成功理由だし、細うで一本で衰退の一途だった山水館経営を再生・復興させることができたことの時代背景なのである。
つまり、わが国の戦後観光地には、消滅した富裕層は来なかった。
これが、大衆迎合型でしかない、わが国観光地の誕生物語なのだ。
すると、昨今いわれ出した、「格差社会」とは、もしやラッキーなのではないか?
棲み分けがハッキリするからであるし、福原屋タイプの復権ともいえる。
ところが、わが国におけるいまの富裕層とは、大衆の中で育ったひとたちばかりだから、安田一平の感覚を若い時分に経験していない。
これが致命的なのである。
さらに致命的なのは、原作中でも福原屋に跡取りがなく、細うでの人物を評価された主人公・加代が跡を継いだものの、その加代の後継がどうしたかはわからないで物語は終わった。
おそらく、時代の流れとともに、大衆化の道を歩くしかなかったと想像できるのだ。
つまり、客だけでなく、提供者にも、富裕層の扱いがわからない、ということになっている。
そうなると、正しいコントロールを誰がするのか?となって、残念ながら、欧米人に分があるのである。
その欧米人は、プロパガンダの名人だ。
彼らはいまでも身分社会に生きていて、支配者たるものとはなにかを自覚している。
それゆえに、大衆をコントロールするのは当然であり、それを支配層が行う義務があるとかんがえている。
なぜならば、自分でかんがえることをやめた集団が、大衆だからである。
だから、「大衆」のことを「マス」と呼んだものが、いつの間に、「マス・コミ」とか、「マス・メディア」というようになった。
そして、これらが仕掛けるのは、言葉を変えて、「PR」とかともいったけど、少しはかんがえる大衆が、その腐臭を嗅ぎ取った。
それだから、もっと上手になさい、となったのである。
大衆を騙して儲けるのが過去の歴史だったけど、大衆を正しく導いて、生活を向上させるなら、大衆はコントロールされるべきである。
だから、あくまでも、「倫理」が問われるのである。