あれだけ「ハロウィン」が盛り上がるのに、「感謝祭:Thanksgiving Day」はイマイチで、最重要な「新嘗祭」が「勤労感謝の日」になって、なにを祝っているのかもわからなくなった。
このあたりの現象を、社会(心理)学者はどう分析しているのだろうか?
とりあえず、わたしは勝手に、「現代版ええじゃないか」ではないのか?と分析した。
「幕末の世相」について、もっと常識化されていいとおもうけど、深く教えると都合が悪くなるひとたちがいるのだろう。
その最も重要で隠されてきたこととは、「明治維新のいかがわしさ」だ。
逆張りすれば、だから、「明治維新を美化すること」が必要で、現代日本人はこれを疑わないように仕込まれている。
簡単にいえば、明治維新とは、「グローバル全体主義のはじまり」という意味での「維新」なのである。
だから、旧体制の鎖国にこだわる江戸幕府とは、「反グローバル全体主義」の思想を貫くことが正当であった組織なのだ。
しかしながら、新進気鋭の徳川慶喜将軍は、新進気鋭ゆえに、グローバル全体主義に迎合したのである。
これが、大阪から逃げ出した行動になって、大政奉還から無血開城へとつながった。
一方の倒幕側は、尊王攘夷から180度転向して、文明開化と富国強兵をいいだしたのは、ちょっと今のウクライナに似ている。
つまるところ、グローバル全体主義の軍産複合体に圧倒的な利益をもたらす「政策」だと気づくのである。
もちろん、「ええじゃないか」が関西で盛んになって、関東で「お陰参り」となったのも、幕府財政の破綻による超インフレが根底にある。
八代将軍吉宗公が、「米将軍」といわれて、江戸幕府はとっくに財政問題が深刻だったかに教育されるけど、幕末のインフレはこれの延長ではない。
わが国の基軸通貨である、金の「両」と、銀の「分」ともに、外国商人によって大量流失させられた。
情報操作の賜で、金と銀の国際相場をしらない、しらせない、現代用語でいえば「情報の非対称性」で、わが国経済を破壊させたのである。
それで生活破綻したひとたちが、一斉に「やけくそ」になったのであるけれど、儲けた外国人は誰か?を問うことをしないのである。
とはいえ、これが、「大暴動」にならなかったのは、ときの政府のおかげではなくて、「助け合い」の精神から?の、いや、被害を受けないための防衛としての「ただ飯」をみんなで振る舞って、なんとかその場をしのいだのであった。
つまり、「お祭り騒ぎ」に押し込めたのだ。
いまは、一般人が劣化して、あくまでも政府や警察による、権力でこれを押さえ込もうとするから、事故になるのである。
それでもなんでも、民衆のエネルギーを発散させて、集団から個人に戻ると「目が覚める」のは、「自棄のやんぱち」を永久に続けることができないことに気づくからで、幕府が奨励した「祭礼」によるエネルギー発散の施策が、ええじゃないかにも手を出さなかったことの答だろう。
それに、当時が「福祉国家」のはずもない。
自分でなんとかしないといけないという常識は、いまよりもずっと「厳しい」ので、街道筋には、「投げ込み塚」まであったのだ。
これは、「行き倒れ」たひとを「投げ込んだ」場所だけど、「塚」になるほどのひとたちが、行き倒れたということである。
おそらく、幽霊のようにさまよっていたひとたちが、ふつうにいたとおもわれる。
いまは皆無になったけど、わたしが子供時分には、けっこうふつうに「乞食」がいて、道端ばかりか各家を訪ねて無心するひともいた。
なので、親からは、「反面教師」として、ああならないようにと教わったものだ。
学生になったころの横浜の話題は、ようやく「ホームレス」という言葉が普及したのと時を同じくしたけれど、昼は路上にいて、夜は簡易宿泊所に住まっていた老人が、20いくつもの国家資格保持者で、なかでも弁護士資格すらあったことが報道されたのだった。
廃品回収でみつけた法律書をありあまる時間を潰すために読んでいたら、司法試験に合格した、というおそるべき事実で、しかも本人にはあくまでも「暇つぶし」という価値観しかなかったことが、話題になったのである。
これぞ、自由人の極み。
人類が農業をバカにするようになって、肉体的にも精神的にも「便利さ=怠惰」を極上の生活とみるようになったのは、一種の「旧約聖書による統一」が成功しているからであろう。
そこにある、「原罪」が原因の、労働からの「解放」をもって、神に近づく、とかんがえたからである。
しかし、農業が食料をつくっていることすら忘れたので、ぜんぜん収穫に「感謝」しなくなった「世界共通」がある。
わが国の「新嘗祭」は、これを「最高」とした価値観の表明だったために、GHQに潰されて、「勤労感謝の日」という不明になったのである。
そんなわけで、収穫祭(感謝祭は11月の第四「木曜日」)に集中していた時代の「名残」で、祭りの後の虚脱からくる「売上激減」に対処するために、ものが売れない販売者にとっての、クリスマスまでの「ブラック」な期間を逆転させて、「大売り出し」とした。
年に一度の割引販売が、「新嘗祭」の由緒を失ったわが国で、「お祭り騒ぎ」になるのは、これもグローバル全体主義化の賜なのである。
それで、なにをポチりましたか?