11月からジングルベル

ハロウィンが10月31日と決まっているので、11月になると「季節感」を喪失する、という現象になった。

もちろん11月の大イベントには、「酉の市」があるし、「文化の日」とは「明治節」だった。
それで、「明治の日」制定運動が起きている。

わたしの子供時分には、「洋物」行事としての、「ハロウィン」はなかったし、「バレンタインデー」も「ホワイトデー」もしらなかった。
それに、「復活祭(イースター)」もとくに祝った記憶がない。

バレンタインのチョコレートの「お返し(返礼)」としてある、「ホワイトデー」は、わが国発祥なので、外国人は珍しがる。
どちらも、チョコレート業界=製菓業界による、「仕掛け」であった。

復活祭は、その名の通りキリストの復活を祝う行事だ。
春分の日の後の最初の満月の次の日曜日、という「規定」があるので、太陽暦では毎年ちがう「日」になる。

ちなみに、イスラム教国であるエジプトでもちゃんと「イースターの祭り」はある。
イスラム教では、「イエス」は、「キリスト(救世主)」ではないが、「預言者」の位置づけなのだ。

それで、「最後の預言者」を、ムハンマドとしている。
つまり、最後から2番目の預言者であるイエスの記念日として、お祝いするのである。

そんなわけで、ハロウィンは、キリスト教とはぜんぜん関係ない、「ケルト(=古代アイルランド)の祭り」だから、ヨーロッパ大陸ではほぼほぼ無視されている。
アイルランド系移民が多数の国、アメリカで盛んというのも、ほんとうは「一部」だったのである。

名作とされている『風と共に去りぬ』における、主人公も、その取り巻きも全員がアイルランド系移民の苗字である。
我々がしっているもっとも有名なのは、「ケネデイ(Kennedy)」だけど、さりげなくいろんな小説やらの作品に、アイルランド系移民の名前が採用されていて、そこに「作家の意図」が隠されているものだ。

こうした名前を、「名字由来net」で調べられるので、気になったときに検索すると参考になる。

ここ数年の、「仮装」を楽しむ名目なのかなんなのかはしらないけれど、ハロウィンが「お祭り騒ぎ」になっているのは、一種の「ええじゃないか」現象だと思われる。

 

江戸時代、「夏祭り」や「秋祭り」が盛大にあって、これを為政者も積極的に許したのは、大いなる「ガス抜き」としての統治機能に注目したからであった。

しかし、いまや江戸幕府よりも劣化したわが国は、ハロウィンすら「規制」の対象にしている。
韓国での悲劇は、「適度」についての調整ができなかった「お粗末」ではあるけれど、だからといって日本のやり方が「正解」ではないだろう。

それにしても、「嫌い嫌いは好きのうち」だから、亡くなった方々へはお悔やみを申し上げるけど、現象としてはやっぱり「社会ストレス」という意味で、似たもの同士の国なのだ。

ただし、いつのことだか将来に、「暴動」になる可能性があるから、いまのうちに「潰しておく」という方針ならば、やっぱり江戸時代以下ではあるけれど、それはそれで権力側(たとえば、東京都知事)の理屈は筋が通っている。

それでもって、月が変わると街に「ジングルベル」が流れ出すのは、「なんとなく」ハロウィンの空気を引き継ぐ「宴のあと」なのかもしれない。
あるいは、商店街側は、とにかく歩いているひとたちの「財布の紐」を緩めるための、涙ぐましい「心理戦」なのか?

けれども、ボーナスにぜんぜん期待できない時代になって、「クリスマス商戦」そのものが、なんだか空しいのである。

それでも、コロナ禍にあって、政府税収は「空前」の「増収」になっている。
これは昨年からのことだけど、今年は「空前」の「円安」で、とにかく輸出を中心にする製造業は、「割り増し」の利益をたたき出すこと確実なのである。

この意味で、全体が成長した時代は「過去の特殊」で、いまは、特定業種の「まだら」がふつうになった。
学生の就職選択が困難なのは、単に企業の選択だけでなく「業界」を選択しないといけないからだが、その前に「学習選択」という大前提がある。

偏差値が高い学校が良い学校、ということの終焉で、もはや外国の学校からそのまま外国企業に就職した方が、はるかに有利となった。

インバウンドが「空前」だったときは、外国人を受け入れた宿泊業や観光業は、輸出業と同様の収益構造だから、やっぱり「空前」の活況があったものだ。
それが、人手不足という足かせで、稼ごうにも稼げないから、安い労働力を外国人に求めたのだ。

けれども、「空前」の「円安」で、安い労働力たる外国人が日本を見切って、脱出をはじめている。

自分事ではぜんぜんない、お役所のひとたちは、「さぁインバウンドがやってくる!」とはしゃいでいるけど、もう「受け入れる能力」が枯渇しているのである。

これに、「SDGs」やら「脱炭素」やらと、高コストをビジネスに押しつけられているのに、「国連」がつくった「SDGsバッジ」なるムダを着けてよろこんでいる業界人は、いったいなにをかんがえているのか?まったく不思議なのである。

「正気」を取り戻してほしいけど、きっとロビーにクリスマス・ツリーを飾るとか、季節感も何もない、ヘンテコな努力をしているにちがいない。

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