リズ・チェイニーが下院議長かも

アメリカをしらない。
お恥ずかしながら、自分のことである。

日本人は、アメリカ合衆国のことを習わないで成人する。
「アメリカ史」も、「アメリカの諸制度」もしらない。
実質的な「宗主国」といえる、「本国」のことをしらされないで成人させられるとは、典型的「愚民政策」である。

いま、アメリカ政界を揺るがしているのは、地元共和党から事実上「除名」された、いまやRINOと軍産複合体の代弁者を隠さない、リズ・チェイニー女史の、アッと驚く「連邦下院議長就任」というまさかの可能性なのだ。

もちろん、彼女は地元の予備選に「無所属」で出馬して、敗退した。
共和党員ではなくなっているのに、共和党候補の予備選に出馬できる、というのは、日本人には理解に苦しむことだけど、そこは「自由の国」なのだ。

だから、大統領選挙でも、民主党の予備選で「勝ちそう」になった、バーニー・サンダース上院議員が、一回も民主党員だったことがなくても構わないのである。

それに、バイデン氏を候補にしたかった民主党という組織は、党内予備選の最終局面で、サンダース氏に高級別荘を与える「協定」をもって、出馬辞退をさせ、このやり取りをまた、サンダース氏自身が「わたしは、別荘をもらってよろこんで辞退する」と表明しても、「自由」なのである。

サンダー氏の支持者たちも、「ガッカリ」を一時表明しても、別荘に転んだサンダース氏を「不道徳だ」として非難したりはしない。
自分のことに照らし合わせて、「さもありなん」とするのが、民主党を支持するひとたちの多数だからである。

もちろん、共和党保守派のひとたちは、これを、「卑下」するけれど、「他党のこと」として割り切る精神状態がある。
これも、世界一「潔癖症」な日本人には、理解に苦しむことなのである。

とはいえ、日本の政党で「党内予備選挙」を制度化しているところは、いまのところ参議院議員がひとりの参政党(党費を払っている「運営党員」による2/3以上の承認)のみで、あとはすべて「トップ・ダウン」で決まることになっている。

それで、選挙費用をまかなえる「財力」が候補の条件になる。
ただし、組織が選挙(資金も)を支える、公明党と共産党はこれとはちがうけど、どうやって候補になったのかは、外部者にはわからないのを「民主的選出」といっている。

なんだか、あっけらかんとしているのがアメリカらしいといえば「らしい」けど、どうしてこういう制度になったかは、それなりに歴史があることだ。
もちろん、わが国と比べたら10分の1ほども「新しく薄い」歴史しかないアメリカだ。

しかし、最初から「設計」されて建国したので、歴史の流れにまかせる傾向があるわが国とは、比べものにならない「論理」がある。

そして、その「論理」すら、わが国では教えていない。

そんなわけで、連邦下院議長に、議員でないひとが就任できるという「論理」は、ますますわれわれ日本人には理解できない。
しかしながら、「そうなっている」のが、アメリカ合衆国の「制度」なのである。

あたかも、共和党が「辛勝」したとはいえ、当初予想の「大勝」とはならなかったのは事実である。
もちろん、「変なこと」は、2020年のアメリカ大統領選挙以来の「風物詩」にもなっている。

一応、連邦下院での「多数党」にはなったものの、もう一つ、日本にあってアメリカにはない「制度」が、「党議拘束」なのである。
つまり、アメリカの議員は、「党議」なるものに、一切拘束されない「自由」がある。

だから、そもそも「党議決定」がない。

議員は、選出された「地元」の意向と、自分の「判断」だけに依る。
これが、「自分の名前」に有権者が投票することの責任なのである。
となると、日本の「党議拘束」とは、有権者への組織的な裏切り行為にほかならない。

拘束されるべきは、比例代表制による「党名」で当選した議員だけが対象でないといけない。

こんなにちがう、日米の議員だけれども、まさか、その議員たちが一致して民間人を議長にすると「決めたら」、それも民主主義なのだ。

国家の序列を書けば、国家元首たる大統領が一番で、二番が副大統領(連邦上院議長兼務)、そして三番が連邦下院議長の順となるのは、大統領職をもしものときに引き継ぐ順でもある。

わが国の場合は、国家元首が曖昧で、天皇なのか首相なのかは不明だから、とりあえず国際的には天皇、国内的には首相という位置づけになっている。
天皇の後嗣をどうするかと、副総理以下の序列を二重で決めている。

そんなわけで、RINO(名ばかり共和党員)も当選した連邦下院では、議長になんとリズ・チェイニー女史を指名する動きがある。

すると、国民の選挙で選ばれていない人物が、もしやバイデン大統領弾劾あるいは辞任と、カマラ・ハリスのダブル辞任で、まさかの大統領になってしまう可能性まででてきた。

この「可能性」こそが、民主主義で民主主義を殺す、「刺客」になるやもしれぬ。

それにしても、おそるべきは、民主党の戦略なのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください