気の毒なウクライナ、悲惨な日本

世の中には自らの私利私欲のために、他国民がどうなろうがしった事ではないとする、悪魔的な人間たちがいる。
これが、戦争屋たるネオコンだ。

ただし、この手の用語は、本来の言葉の意味から乖離して、ぜんぜんちがう意味に変容した結果である。

「ネオ」とは、「ニュー:あたらしい」という意味だし、「コン」とは、「コンサバティブ:保守」を指す。
つまり、本来なら「あたらしい保守主義」という意味のはずだが、いつの間にか、「戦争屋」になった。

岸田首相が提唱したけど、意味不明な「新しい資本主義」が、共産主義の匂いが漂うのと似ている。

ネオコンは、政治家のスポンサーが「武器商人」ばかりになって、おカネで政治家をコントロールしたからであり、こうした巨大メーカーの背後にはウオールストリート(巨大金融資本)がいるのは当然だ。
いまでは、巨大製薬会社もこれに加わった。

どちらの国も、政治にはカネがかかるから、政治家は政治資金を得るために苦労した。
王侯貴族の時代なら、あからさまに奪取したけれど。

それで政治家一般が、みんなカネに困ったので、合法的に集金しやすいルールを作り出したら、どんどん大胆になって、インチキな方法が常識に変容したのである。

アメリカのその仕組みは、完全なるインチキで、「財団」が正面に立って集金するも、その財団が集めたカネの使い方が「大胆」なのである。
なんと、選挙管理委員会へ多額の寄付(買収)をして、選挙に事実上介入している。

日本の場合は、政党にちゃんとした組織がないので、国民(税金)から「政党助成金」なるルールを勝手につくって、政府の公金をチューチューしている。
自民党には、およそ159億円、立憲民主党にはおよそ68億円が毎年公布されている。

これを頭のいいよい子ちゃんたちは、悪法もまた法なり、というのである。
自分のカネを盗まれているのに、だ。

トランプ氏がスポンサーたる大企業や大富豪から徹底的に嫌われる理由は、彼本人が大富豪だからで、従来型の「金権政治」を平然と否定してなお、「戦争を徹底的に嫌う」ために、金儲けにしか目がない人たちから「危険人物」だと見られているからである。

これまでは、なんとか理由をつけて誤魔化しながら戦争をしてきたひとたちだったけど、ソ連が勝手に自己崩壊してアメリカ一国の天下になったら、かぶっていたベールも脱ぎ捨てて、あからさまな手口をさらけ出してしまった。

まったくもって、「奢れるものは久しからず」の、『平家物語』をしらない、野蛮人たちの饗宴ばかりが目につくようになってしまった。
あたかも、「平家にあらずは人にあらず」のとおり、「ネオコンにあらずばエリートにあらず」になったのである。

国境というものは、民族国家の境界線が作るものだとの認識もない、島国の日本人には、単に海がわける自然の摂理だと勘違いできた幸せが仇となり、「切った貼った」の興亡は、あたかも戦国時代のことだけだと思い込まされている。

元寇を奇跡的にはね返した幸いの意味を、かみしめるべきなのだ。
もしも敗れていたら、いまでも彼の国の「省」になっていた。

そんなわけで、台湾が領土になって、朝鮮も領土になったとき、いまの日本人には理解できない感覚が国中に蔓延したのは想像に難くない。
しかし、そんな想像すらさせない努力が、敗戦によってもたらされたので、とうとう想像力を喪失するに至ったのである。

ビジネスの現場でも、なんでも、「問題解決」のための最初の手順は、あるべき目的・目標を定めた上での、現状認識の確認作業となる。

このとき、その問題の発生についての経緯(=歴史)を調べるのは当然だ。
そうやって、経緯(=歴史)のなかにある、原因を特定し、その原因を除去することが業務になるのである。

なので、この原因特定の追求の度合いが、甘ければ確実にその問題は解決せず、むしろかえって複雑化して、解決が困難になるあたらしい原因を上塗りすることになりかねない。

ここに、「急がば回れ」という格言が登場する。

一見ムダに見えてもちゃんと時間をかけて原因を深く追求しないと、できるはずの問題解決がいつまで経ってもできなくなるからである。

これは、たまたま顕在化した安芸高田市に見られる状態だといえる。
もちろん、安芸高田氏市の問題は、全国に蔓延している病的なものだけど、全国で隠す努力が成功しているだけである。

しかしながら、相似形にグッと拡大してみれば、たとえばウクライナという地域でも、同様のことが起きている。
そもそも、ウクライナの歴史とはどんな経緯があるのかをしらないと、他言語国家の複雑性は絶対に理解できない。
そして、国境線が自然発生的にできたとはまったくいえないのがいまのウクライナなのだ。

さらにその政府の腐敗は、体制転換時に欲にまみれた英・米人が、彼の国の資源争奪をした副作用で発生したのである。

また同様に、日本国をグッと縮小してみれば、安芸高田市になる。
何度も書くが、もう一つの、先行事例は、いまの英国だ。

建前の議会と、本音の市長が、水と油状態になっていて、市民に情報を伝えるべきの地元新聞社が、なんの役も果たしていないばかりか、雑音(ノイズ)をまき散らかしている。
この情報の「非対称性:あるいは歪み」こそが、マルクス経済学における唯一の真実、「疎外」の原因だ。

つまり、一般市民(国民)が、議会と市長の双方から分離(疎外)させられて、おそらく双方が何をしたいのか?すらわからないことになっているだろうし、また市民は興味のかけらも失ったにちがいない。

確認するが、主権者は「市民:国民」となっているのに、その市民(国民)が望んで完全なる蚊帳の外に身を引いているのである。

だから、「バトル」自体に喝采して、なにを主張しているのかの中身を理解しないのは、石原慎太郎都知事と橋下徹大阪市長とがやったことから、ぜんぜん進化していない。
石原慎太郎都知事すら橋下徹大阪市長に賛同して、いったん「維新」に入ったけれど、その後別れたのは何故だったのか?すらも記憶の外にあるのだろう。

まったく、日本国の現状の「縮図」なのである。

けれども、こんなことは全部の自治体で起きている「ふつう」なので、たまたま元気な若い市長のとんがった言動が目立っているだけである。
むしろ、何ごともないがごとくに日常が繰り返されている、ほとんどの自治体の深刻度は、より酷いにちがいない。

きっとウクライナに住んでいるひとたちは、「なんでこうなるの?」と、まるで往年の「コント55号」のギャグが現実になっている気の毒があるけれど、深刻度では似たもの同士のわが国で、次に何が起きるのかを想像すれば、ウクライナどころではない悲惨がやってくるとかんがえるしかないことが、もう悲惨なのである。

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