A case of multi-organ inflammation following で検索

”A case of multi-organ inflammation following” で検索すると、これまでにない情報がでてくる。
しかしながら、これを日本語翻訳して検索しても、さっぱり、なのである。

どうなっているのか?はかんたんで、日本語にフィルターがかかっているだけだ。
つまり、検索できないように「だれかが」している。

けれども、少しだけ日本語での情報提供も「進化」して、たとえば、「ヤフーニュース 14歳」とするだけで、これまでネット界隈の「うわさ」(3月頃)だったことが、ちゃんとしたニュースになっていることに気づくのである。
念のため、出典は、「NBS NEWS」(毎日放送)である。

詳しくは実際に、検索していただきたい。

さて、上の「うわさ」の発信源は、あんがいとちゃんとしていて、『Legal Medicine』を発行している、日本法医学会であった。

つまり、ほんとうのうわさの発信源は、この学術論文を読んだひとだといえる。

しかし、マスコミは学術論文を根拠にニュースとせず、警察の「司法解剖」をもって根拠としたところに、病根がある。
この論文は司法解剖の結果をまとめたものだから、なんだか順番と時期がズレているのである。

学術よりも警察という行政機関を優先するマスコミの姑息がここにもあって、一般人もこれに洗脳されているのである。

ではどうして、徳島県警は徳島大学に司法解剖を依頼したかといえば、「健康な10代の女性(死亡したのは14歳の少女だった)が、突然亡くなるのはおかしい」ということだったのだ。

「2類」であり続けたのは、解剖をさせない、ということが理由ではないかと勘ぐられるのも、だんだんと真実味をおびてくるけど、この疑いを捜査する機関がわが国にはない。

捜査対象が、政府になるからだ。
警察も、検察も、政府の一部なのである。
ならば、もはや反社も同然の医師会を捜査する、という企画を警察幹部はたてないのか?

そうやって、解剖もさせずに、死因がハッキリしないで遺族に顔も見せず、あの袋詰めのまま火葬にされてしまう。

高齢者を優先にしたのも、いまとなってはぜんぜん「敬老の精神」ではなくて、ただの死因隠しだったのではないか?
「なにせ歳が歳だから」で、遺族もあきらめがつく。

そうやって、高福祉社会から高齢者数を減らせば、なんだか得をするのは予算が苦しい政府になる。

しかし、誰のための何のための高福祉社会だったのか?を問えば、結局は税金のつかい途を政治家やら官僚、それに、医師会の医師たちにあたえるための、「方便でしかない」ことに気づくのである。

自分が払った税金を自分でつかうのなら、わざわざ政府を介さずに、直接自分でつかった方が、「手数料分」も節約できる。
これが、アメリカ共和党トランプ派の言い分なのである。

それでは業界が困るといって、大反対するのが民主党のオバマだった。
大不評の「オバマ・ケア」の正体がこれで、民主党支持者も「しまった」と思っている。

それでもって、冒頭の検索をしたら、両極端の記事が山ほどでてくる。

積極的な意見の裏に、利権があるのでは?と勘ぐると、それなりの言葉が正直にあったりして、これはけれで有意義なのである。
消極的な意見では、かなりのリスクについての詳細が記述されていて、自己防衛に役に立つ。

ウクライナの話題で目立たないようにセッティングされたから、むしろこれを決めたかった?とおもわれる重要事項が、WHOへの資金と権限の付与を決めたことである。

G7以外に、中国とサウジが別途開催した会議で、世界全体のことはわからないけど、独立国の権限を一部とはいえ国際機関たるWHOに付与するとは、世界政府の実現にほかならない。
それで同時に、世界政府を目指すとしている、グローバル全体主義の司令塔の本体、「ビルダーバーグ倶楽部」が、プレッシャーをかけたのだろう。

この点で、わが国の岸田氏が、きっちり着こなすスーツの襟に、「SDGsバッジ」を輝かせていたのも印象的なのである。
ゼレンスキー氏の丸首姿とは、「エチケット違反」どころではない対比があった。

それでまたどういうことか、ワクチン工場を経産省の予算で建てることになっていて、「mRNAワクチン」を国産として製造するそうな。

厚生労働省の予算でないところが、与党とどう折り合いをつけたのか気になるけど、インフルエンザとかも、mRNAワクチンでというから、一体全体どんな「認可」なのかももうわからなくなったのである。

これを、「医療崩壊」というのではないのか?

もはや、ワクチンなるものは打ってはいけない、ということになるけれど、国民に牙をむいた国家は、WHOの印籠をみせて、強制的に打たせるのだろう。
拒否したら、社会生活ができない報復を受けるのだ。

これを決める、国会議員を国民に選ばせるふりをし続けるのは、もうやめてもらいたい。

噂される、夏の次期衆議院選挙は、国民にとって命がけの選択となること必定なのだが、すっかり愚民にさせられた国民に反発する力はもうないから、どうにもこうにもならないのか?

あれやこれやをかんがえると、ため息しかないのである。

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